眠れないよ

王国(あるいはその家について)の眠れないよのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

裁判のための調書から始まる映画。これから何度も読み上げられるであろうその過去を反芻するように、映画は同じ場面を執拗に映す。脚本を読む三人の声色や仕草、間、それを映すカットはその時々によって異なっていて、同じ場面から立ち上がる物語は全く違う色を帯びたりする。それは同じ出来事が語る人によって様変わりすることに似ている。過去が思い出すたびに形を変えていくことにも似ている。
だからこの映画を観ていて、ああ、これは僕たちが過去を思い出すときの、思い出を美化したり醜悪にしたりする作業を映画にしたものなんだなと思い至る。過去の物語をどこまで再生するかは僕たちの気分次第で、だから思い返す度に物語がどこまで進むかは当然変わる。けれどそれは記憶という朧げなものを捉え直すことでしかないから、脚色無しでは成し得ない。過去を思い出すことは再生ではない、過去は捉え直すことしかできない。

彼女たちの会話の多くは過去の捉え直しの作業だ。マッキー・ザ・グロッケンかグロッケン叩きのマッキーか。台風の日に家にいたのは二、三時間かそれとも泊まっていったのか。それぞれが捉え直した過去が、現在の私たちをすれ違わせていく。


家族という集団、家という場所はとても閉鎖的だ。僕たちは隣の家の間取りすら知らない。薄い膜が張られているように、他人の家は外部から見えないようになっていて、その家の中では誰かが殴られて衣服の下に痣を作ったり、時には血を流して死んでいたりする。映画や小説はそういう物語で溢れている。世の中でそれらが事実として溢れているから。隠せないほどに溢れているのに、昔からずっと、今夜も子どもの泣き声が町に響いている。

そういう家族の不透明性、外から見えないし触れられないようなこと。家という王国を誰が壊せるのか。誰かが壊さなくてはいけないのではないか。家族の在り方と、私とあなたのこと。二人の関係性が第三者によって脅かされること。この映画のテーマはとても平凡だと思う。安易に共感できてしまう、平凡な物語。けれどその表現方法がとても面白いから、面白い映画だなと思う。世の中の見え方が変わるとか、そういうことはきっとないけれど、技巧派だな〜と思いながら観ていた。
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