ヤス

王国(あるいはその家について)のヤスのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

感想を書くのは難しい、ずっと考え続けて、常に変わると思うからその都度編集しようと思う。今は感想というより、思ったことを書く。話は散り散りになる。

例えば「怪物」を観た時、その演出方法とメッセージ性に強く感動した。とても分かりやすいし、それでいてエンタメ性があった。自分で解釈を掘り進める中で、ガイドされているようにも思えた。そこがまた良かった。
今作はとにかく胸が苦しくなった。なんだか自分を見ているようにも思えた。これが全くもって「脚本や演技の可能性」というところにのみ焦点を当てているとすれば、少し平面的に思えるかもしれない。亜希は台本を読み合わせる中で相手の演技によって同じ言葉でも全く色味の違う空気を感じる。自分を脚色して正当化しようとしたり、本番では夫が大きな声で罵るように演出する。読み合わせでは実際に自分がいない場所にも顔を出す。自分の王国や相手の王国、あるいはその家を覗く。亜希からすれば、自分がいない王国も勝手に思い描くわけで。特に夫にとってはそれは家でしかないもの。
東京で社会に揉まれながらも自分の夢に片足だけを突っ込んでいた亜希は変わらないままで、地元で結婚して仕事をしていない主婦のノドカが不幸に見える。夫に対して何も言えないノドカを勝手にイメージして、だけど大人になるのはそういうことなのかもしれないって、そう思うと苦しくなる。自分もこうなるのではないか、こうなることは悪いことなのか。自分達の合言葉を言い間違える娘にも腹が立つ、自分達の王国を過剰に神聖にする。
練習の中で少しずつ変化するセリフのことももう少し考えたい。

こうゆう風に文字にするとすごく薄っぺらく聞こえるけど、この往復の回数こそがこの映画のミソだと思ってる。色んな場所へと飛躍しながら思考を反復する人間の曖昧さについて、考えてしまえば亜希と同じ結果を辿るような気持ちがするのが、もう一つ恐ろしい。
すごく少ないセリフでここまでのインパクトを持つことに衝撃を受けた。
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