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ステキなパパの作り方のニューランドのレビュー・感想・評価

ステキなパパの作り方(1951年製作の映画)
3.2
☑️『ステキなパパの作り方』(3.2p) 及び『夏の嵐』(3.5p)『誘拐魔』(3.7p )▶️▶️
サークは、メロドラマ~悲劇の名匠であり、同時にライトコメディの名手でもあり(→ややアナーキー⋅スラプスティックへも)、また歴史の重みが恒に裏から控え、全体を夢幻的なミステリーと強固な構築力⋅建築性が相まって包んでる。今の朝ドラ(特に浪速千栄子の半生記の時、溝口は誰が演ずるのやろ、とワクワク期待してから、観る習慣に)の、思い込みで加速の悲劇→天然の焦れるコメディ、はサークを思い起こさせる。そして、サークの作品個々は、造型⋅リズム共に、渾然一体の、手応え⋅見事さを持つ。一体的な無比の集中力に、強引な力なく届く、唯一的作品群(対照反転の形も含め)。しかし、中には2つ以上のトーンが切り替わり、相殺されかねない作もある。それでもいい場合もあるが。
『ステキなパパ~』が画質があまり良くないせいもあるが、サークのなかでは私にとっては黒星の作(とは云っても、凡百のコメディに比べれば充分、上等)。
各々、自分からは異性の小学生年齢の子供2人と飼い犬を持つ、連れ合いを数年前に亡くした男女の片親同士が、子供らをキャンプに送り出した後、偶然から逢瀬を重ねるようになり、結婚を決意する。懸念は子供たちとの関係と、キャンプを訪問、週末を新大家族化の足慣らしへと。しかし、子供らも当人もら、新親と思ってる別なのがいて(キャンプのリーダーや、仕事関係のTV人気女優)、男親は、いいとこ見せようにも、運動神経無や罠で株を下げるばかり。しかし、子供たち同士が不仲から、ふと通じ合い、「親子は、自分の事だけでなく、もう一方も幸せになってこそ、しあわせ」と、策を巡らし⋅偶然の大事件⋅親も大車輪で(実は事件でもないので)ヒーロー化、でめでたし。
前半、駅の構内⋅公園⋅TV現場らの、身体に沿い上がったり⋅歩みフォローらの横移動カメラにより変わる視界、手前に重ね入ったり(人やカメラも避けて縦移動も)⋅フレーム内に先行して形似の何組も入ったり、トゥショットだと男女親差やキャンプ名由来のどうでも話題だったり、足下低く犬の先導移動だったり、地味めも素晴らしい味わい⋅効果。
それがいざキャンプに入ると、多数の動きの縦の図や、瞬間寄り切り替わり、あれどいきなりベタで味わい欠く、スラプスティック系の、ナンセンス⋅体(群)技ギャグの数々に。こまっしゃくれた子供ら(特に毒と悟りで光る長女)に比べ、愚かさだけ目立つ大人社会。サーク喜劇の括りの傾向とはいえ、今回はちとストレートあからさま過ぎ。画質の悪いせいでもあるか、取り敢えず保留にでも。
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『夏の~』も、2~3重の屈折回想⋅ロシア革命前後のミステリー色⋅ファムファタールの力⋅運命への無力感らが錯綜し、独自の歪んだ格とうねり、があるも、スッキリと伝わるものに欠ける。ゴタゴタ⋅モタモタの感もあるが、力強さは変に感じる。セット⋅風俗⋅白黒の厚み、歴史の重さと生き残る欲望、「雷光」を感じる女の底からの光が覆い合ってる。真実を知る女らが、告発は避け、男に無言で、問い任せる覚悟まで凄みがある。
それにしても、欧州から移ってきた現実とのカブリはあるが、今回の催しで、G⋅サンダースを何回目撃したことか。帝政ロシア末期の地方の有力検事長で、出版社主の娘(革命後、父に代わり社主の彼女に、回想録が本意でなく届き、それが読まれてく構成)と婚約するも、懇意の封建領主の下の事務官と結婚の運びの、貧しくも逞しい女に傾いてしまう。より逞しく生きてく為、身分が高い男らを誰彼なく乗り換えてく女。やがて彼女は殺され、真犯人(秘かに慕う)を知る女使用人の黙秘もあり、裁判で事務官を裁く検事長。今、真実を知られて、警察への投函を任されるも、直後に躊躇い、撃たれてしまう。
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30数年前か、蓮見さんと山田さんが組んだ、サークの知られてない部分の発掘3本の上映+ビデオ化企画の1本は、戦前のシオドマーク作品の完全リメーク(より巧妙にB級テイストで)、また、 影の効果の鋭い使用から始まり、ボードレール「美と死」観絡み、ウェルズ的パンフォーカス画面で、求心力を示す初終の括りの間の、中盤はソフィスティケイトされた小刻みなコメディ⋅スケールの伸び縮みミステリー風で、これもサークの本道の鋭く重い一色、をはみ出た軽妙な一本。
オリジナルより軽め⋅滑らかで(そもそも、安易な広告⋅手紙にのり⋅失踪若い娘次々事件に、知性から犯罪の囮捜査に協力の踊り子が、あまりそう見えず、開放的)、サーク本来の縦横に柔軟⋅魅惑的なカメラワークより、次々事件の刷新、細かい証拠の(偶然)発見(引っ掛け)がキビキビ入れ替わりイメージの定着を避けてる。予告の手紙も限られたボードレール引用の特異教養の持主、その犯人の自然な他人を別件で庇う仕草で別に犯人仕立て、等オリジナルより優雅で、似た新聞広告使う犯罪で、別件と分かる⋅ジャストミートと誤認も巨大組織を挙げる、等を経ての捜査の拡がりの感触の鮮やかさ、もオリジナル以上(カーロフみたいな歴史スターをうまく活用しているし、警察側の2段階の身内の警部補らのあり方⋅気のつき方がうまく人間的に機能している)。身近な所に犯人で、最も身近な人間への不信生まれのやりきれない感触とその払拭。やはり味わい、カット間やトゥ⋅ショットでの掛け合いも、親密さと潔さが、犯罪解析のハラハラとは別に流れてる、気品⋅他者尊重をラスト辺の再び気張りめタッチで、もたらしてくる。
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