QTaka

よこがおのQTakaのレビュー・感想・評価

よこがお(2019年製作の映画)
4.1
自らの意思とは関係なく、どんどん追い込まれていく。
精神的に、とことん追いつめられる。
当然、観客も主人公と一緒に追い込まれる。
まるで、ジェットコースターに乗っているように。
.
この映画の中に、おそらく、自分の姿を見つけることができるのだろう。
それは、誰にでも好かれる人当たりの良い看護師なのか。
その看護師を慕いながら、決定的な証言で追い込む女か。
必然か、偶然の悪戯か、加害者になった男か。
騒動に巻き込まれながら、傍で見ているだけの者か。
渦中の彼女を信じきれず、突き放してしまう者か。
それとも、噂に引き寄せられ、カメラやマイクの後ろに群がる群衆の一人か。
誰もが、どこにでも位置してしまうのかもしれない。
そう思うと、この追い込み型のストーリーの恐ろしさが増してくる。
.
私は、平生を一体どんな配役で生きているのだろう?などと考えてしまう。
物語の中で、主人公を渦中に突き落とす証言は、憧れ、嫉妬、横恋慕、殺意?、あるいは全くの無意識から生まれたものだろう。
それは、その言葉の意味、重み、影響、そしてその結末など一切を意識していない。
ある意味で無垢の心さえ見えてくる。
でも、その無邪気とさえ見える、幼ささえ感じさせる大人の女性への想いが、あまりにも稚拙で、幼稚な発想から生まれた発言によって、悪意になってしまう。
そう、それは、悪意のこもった発言としてしか見えないのだけれど、その真意に悪意はなかったのに違いない。そこまでの考えは毛頭なかったのだろうから。
.
無意識がもたらす悪意の表現。
家族ぐるみのお付き合いの中で、少女とその姉、おばあちゃんとお母さん、そして訪問看護師。
その関係は、一線を超えていて、定期的に訪問して、高齢おばあちゃんの介護を含め看護するだけではなく、時に姉妹の勉強に付き合い、姉はその看護師の姿に憧れ、自らの将来を重ね合わせているくらいだった。
そこには、年上の女性に対する憧れというより、同姓でありながらあるいは心を惹かれる想いがあった。
この想いが、しだいに歪んでいく。
姉を親友のように思っていた看護師は、その歪んだ想いに気づけなかった。
果たして、その想いに気づいたところで、一体何があったのだろう?その先もまた見えない。
そして、この物語では、その歪みが、家族と看護師、そしてその周囲に入った亀裂にくさびを打ち込む事になる。
この姉の、年上の女性に対する無意識の想いほど怖いものは無いだろう。
それは、本人にすら気づけない想いであるが故に、制御が効かない。
マスコミを前にしてついた嘘も、彼女にしてみれば、果たしてどこまで意図したものかわからない。
そして、物語の最後に登場する彼女の姿に、悪意のかけらも無い。
誰が悪かったのか。
誰に責任があったのか。
犯罪とは別のところで、悪意が人を惑わせ、追い込んでいく。
この物語のどこに分岐点があったのか。
.
追い込まれ、逃げ惑う、そして復讐を企図する筒井真理子さんの演技の凄さ。
それは「顔芸?」って言うとちょっと違う?。
でも、その表情に息を飲むシーンがいくつもある。
それは、時に幸せを表し、時に苦悩を、狂気を、絶望を表していた。
この物語の中で主人公は、六道を生きていたのだ。
その表情は、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天と変幻自在だった。
一歩先の闇に気づくことができない私達は、このように転び、這い上がり、それでも救われる事なく、そして彷徨う。
それらを、その表情に込めたその演技は、私の眼をスクリーンに釘付けにした。
.
映画を見終わって、ロビーに出ると、深田監督が居られた。
慌ててパンフレットを購入してサインを貰った。
パンフには、脚本が掲載されていた。
すぐに確認したのが、ラストシーン。
丁寧にト書きが付されていた。
そうか、この想いだったんだ。と確認できた。
そして、この脚本の丁寧さこそ、このジェットコースターのような、激しい展開から脱線する事なく、最後まで役者を導いていたのだと思った。
翌日、深田晃司監督の特集上映が有った。
「椅子」「ジェファソンの東」「淵に立つ」と監督と筒井真理子さんのトークショーがあった。
深田監督の丁寧な映画作りと筒井さんの映画への愛情がよくわかるお話だった。
製作者達の生の声を聞くことはとても贅沢で楽しい時間だった。
QTaka

QTaka