このレビューはネタバレを含みます
自然と共に共生する時代に少しずつ近代化の波が押し寄せ、人々がその影響を受けて変化していく様子に胸が苦しくなる思いだった。
決して「昔は良かった」という単純な話ではない。明治時代には明治時代の不便さや苦労があって、人間はそれを自然の恵みと共に受け入れながら生きてきた。
ただ、「便利になる」ことが何かを犠牲にすることも真実。
その変化の中で揺れ動く、主人公の心。
(1:51:50〜)
仁平のオヤジさんの弔いが済んだ後のシーンのトイチの心の叫びが苦しいくらい胸に刺さる。
トイチは言葉少なく、それ故に橋が出来ることをどんなに複雑に思っているか…と切なく思いながら観ていたけれど、もっともっと深いところで胸を痛めていた。そこに富や知性は関係がなかった。むしろ、剥き出しの人間そのまま、自然と共に生きている人間だからこその感覚だったかもしれない(富を手に入れた源三が対比的に表現されている)。
「おれなんか(中略)、そんな意地汚いことばかりの汚れた人間だ。それなのにオヤジさんは自分のことよりも自分が死んだ後でも何かのためになろうとしている。そんな人間におれもなりてえ…」
トイチの彫ったマリア像がフウを救った。
終わりのシーンは悲惨ではあったけど、トイチの願い通りでもあった。
「おれはおまえぐらい守ってやりたいと思ったんだ…」
途中から、涙がこぼれた。無性に泣きたくなった。人間の性とか業とか、宿命みたいなもの、抗い切れないものに対する畏怖の念。いや、抗うべきものではなく、人間はもっとちっぽけだと突きつけられているような無力感。それでも純粋に、ひたむきな命。
オダギリジョーの才能にはため息が漏れる。
厳然たる自然の存在感。山々の呼吸、川の流れ、水の表情を細かく捉えて表現。そこに生息する生き物の姿や鳴き声…。
アングルも含めてスクリーンに映る映像美は、それだけで芸術。
豪華なキャストも、彼の才能をリスペクトする役者陣の集結なんだろうなと思う。役者魂が疼くような、天才的なセンスがあるんだと思う。