kuu

Clemency(原題)のkuuのレビュー・感想・評価

Clemency(原題)(2019年製作の映画)
3.8
『クレメンシー』
原題 Clemency.
製作年 2019年。上映時間 112分。
長年死刑執行に関わるうち、しだいに精神をむしばまれていく刑務所長の葛藤を描いた社会派の人間ドラマ。
冤罪を主張する死刑囚と向き合い、苦しむ主人公を演じるのは、1983年の『クロスクリーク』でアカデミー助演女優賞にもノミネートされたことのあるアルフレ・ウッダード、抑えた演技からにじみ出す懊悩が、観る者の胸に迫る。
監督は本作が長編デビュー作となるチノニー・チュクーで、初の長編とは思えない堂々とした演出で、今後の活躍が楽しみな監督。
余談ながら、死刑囚アンソニー・ウッズは、2011年、最後まで無実を訴えながら同様に殺人罪で処刑され、世間を騒がせた実在の死刑囚トロイ・デイビスをゆるやかにベースにしてるそうです。
ウッズの最後の言葉は、デイビスが死刑執行前に録音した最後の言葉とほぼ同じ。

死刑囚の死刑執行を何年も続けてきたことで、刑務所長のバーナディン・ウィリアムズは苦しみを感じるようになっていた。
ある日、バーナディンは囚人のアンソニー・ウッズの死刑執行を命じられる。
アンソニーの弁護士は冤罪を主張していた。

現実においても我々の多くは(小生も含め)きっと、己の仕事や勉学に不満を抱いていると思う。しかし、もし仕事における最終的な目標を定め、そこに向かって進んでいくための道筋、キャリアパスが、裁判所から命じられた12回の死刑執行を監督することになり、次の執行がすでに予定されとったらどないやろか?
監督でもある脚本家のチノナイ・チュクーは、初の長編映画で、死刑囚を含む最大警備の刑務所を管理するバーナディン・ウィリアムズ所長の世界を描いてます。
このジャンルの映画では珍しく、死刑制度に反対する政治を説かず、死刑を執行しなければならない人々の心の負担に焦点を当てた作品、淡々とプロセスは進む。
ウィリアムズ所長(アルフレ・ウッダード)は、ポリシーと手順を守りながら、感情を抑制する熟練した刑務所のプロフェッショナル。
仕事でも家庭でも、抑制的で、しばしばストイックな人物と云える。
今作品の序盤で、致死量の注射が失敗し、所長はこれを許しがたいと思う。
彼女は答えを求め、次に予定されているアンソニー・ウッズの死刑がスムーズに行われるように準備する。
アルディス・ホッジが演じるのは、15年前から死刑囚として収容されているアンソニー・ウッズ。無実を訴え、警察官を殺したのは彼ではないことを示す証拠があるにもかかわらず、彼の死刑執行日は間近に迫っている。
ウッズの弁護士マーティ・ルメッタ(リチャード・シフ)は、最後の望みは州知事による慈悲の判決であると訴える。
刑務所長の仕事は、家族、抗議者、弁護士、メディア、警備員、医療スタッフ、手続き、最後の声明、そして、静脈の探索まで対応すること。
そのストレスは明らかに負担となり、彼女の家庭生活さえもボロボロになってしまう。
夫のジョナサン(ウェンデル・ピアース)は、彼女の飄々とした態度に苛立ちを覚える。
彼は高校教師で、クラスの授業で『透明人間』の一節を読み上げるけど、その言葉が心に響く。
ベルナディンは刑務所の神父(マイケル・オニール)とも接しなければならず、2人の緊張を伝える力強い瞬間があるったかな。
ベルナディンは、ウッズの処刑の手順を説明しながら、淡々と話すけど結構内なる力を感じたかな。
もうひとつの力強い瞬間は、ウッズが自分の生と死をコントロールする最後の手段を行使しようとする場面。
見ていて残酷な気持ちにった。
アンソニー・ウッズに死刑判決が下ったとはいえ、関係者のほとんどが『引退したい』『立ち去りたい』ちゅう意思表示をしているとこから、これは、他人の命を奪うことの重さを端的に物語っていると云えるかな。
ウッズの元パートナーのエヴェット(ダニエル・ブルックス)との面会で、彼は負とも云える犯罪以外の正の遺産を手に入れ希望を与えられるが、エヴェットは彼に必要なものを表現する。
この人生はおとぎ話ではなく、ハードエッジと困難な瞬間がいたるところにある。
所長を演じるアルフレ・ウッダードは長い間、過小評価されてきた女優で、アカデミー賞にノミネートされたのは1983年のことだけど、1980年代のテレビドラマ『セント・エルスホェア』(6シーズンまであったかな?)以来、ほとんどの役で傑出していると個人的には思う。
彼女は、演じるキャラのほとんどに人間味とリアリズムを与えることに成功している。
また、ウッズを演じるオルディス・ホッジは『ブライアン・バンクス』(2018年)の主演を演じたけど、どちらの役でも引き込む強さをもっているかな。
また、今作品の監督の作品では、2人とも何らかの形で孤立し、どう対処したらいいのか悩んでいるように多少見受けられたのは否めないかな。
今作品では、有罪か無罪か、死刑制度は社会に適合した道徳的な法律なのか、といった問題にはほとんど時間を割いていないけど、関係者の心理的な影響を調べるというアプローチは、議論に値するものであるし、我々は、脚本がこれほどまでに孤立したキャラ、つまり感情移入しにくいキャラを登場させなければよかったと思う。
しかし、それがこの環境の必然なのかもしれない。
次の死刑執行の準備という儀式に従うよりも、はるかに深く切り込むものなのやと云える。
kuu

kuu