TsuyoshiNomoto

フォードvsフェラーリのTsuyoshiNomotoのレビュー・感想・評価

フォードvsフェラーリ(2019年製作の映画)
4.9
喧嘩する時、抱きしめる時、最後のレースを走る時、大事な時は、サイドミラーが決まってチラッと繰り返し瞬く。
自分の中にある強烈な欲望や、
利潤を徹底的に求める産業
(とそれを支えるイデオロジカルな構造)、
そうした狂気に翻弄されながらも、
サイドミラーが光る時だけは理性的なバランスによって立ち、家族の為の”パパ”に戻ることができる。

なのだけれど、夫婦喧嘩と夫婦のメロドロマのパート以外で、
“サイドミラーにカメラが寄る、かつ
クリスチャンベイルが自分で運転している時”は
ラストぶっちぎりで速く走った時だけで、
映画の中でも繰り返し語られる印象的なセリフ“他の誰も置き去りにして”(みたいな!原文忘れた)にあるように、他の誰かを置き去りにするぐらいの余裕がないと周りを見る余裕を得られないクリスチャンベイルをやはり皮肉的に描ききる。そうじゃないと奥さん都合よく美しく描かすぎだろ、と言われても仕方ない。

それから、画面の中に人がたくさん映っても、解像度=ピントのぼやけや、画面の中のどの位置にいるかなどで、画面の中にある種ヒエラルキーをつける画作りにグッと来た。見やすい。それでいて、それぞれの顔を見る余裕があるし、彼らがどんなパーソナリティであるか、事象や人物に対する心情を把握していくことで関係性を読者が把握しやすく、だからこそ悲劇は悲劇に、喜劇は喜劇としてより捉えやすくなる。そんなんシェイクスピア時代からあった手法、ジャックリュビュット先生にはまず、そんなことから勉強を始めて欲しい。(最近見た地に堕ちた愛が面白くなさすぎて、まだ愚痴がある。)
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