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フォードvsフェラーリのQTakaのレビュー・感想・評価

フォードvsフェラーリ(2019年製作の映画)
3.0
現場に居たのは二人のドライバー。
映画が追ったのは、開発ドライバーと彼を支えた人々の姿。

出てくる名前がすごい。
もちろん、史実だから、その名前を耳にしたことも、その車も知らないはずが無い。
「シェルビー」の名は、”シェルビー・コブラ”でよく知られている。
その”キャロル・シェルビー”と、彼が信頼し、現場をともにした名ドライバー”ケン・マイルズ”。
この二人の現場は、スリリングでかっこよかった。
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物語の現場は、企業間のビジネスの舞台から始まった。
史実のとおり、フォードは一杯食わされた。
その、現場表現もなかなかに秀逸だった。
やぼったいビジネススーツのアメリカ人と、身のこなしまでスマートなイタリア人の話し合いが、まとまるはずなど無い。
この辺の表現は、ちょっと意地悪な気もする。
フォードのレースに対する姿勢の軽薄さが随所に表れている。
確かに、フェラーリのレースに臨む姿勢はビジネスのためなんかじゃなかった。
だから、この企業間の話しがまとまろうはずが無かった。
このレースに対する姿勢は、今に至るのかもしれない。
フェラーリは、レーシングの現場を捨てることはない。
一方で、フォードは、どのレースシーンでも、顔を出しては引っ込んでの繰り返しだ。
WRCしかり、WECしかり。
この映画で登場するフォードGT40。
1960年代に活躍した後、その名の車は長くサーキットを走ることはなかった。
2016年、その名前を冠したレーシングカー”フォードGT”を開発して、ル・マンに挑戦することになる。
そして再びフェラーリを破り勝利した。
そのフォードGTが、今年はもうサーキットから姿を消してしまう。
フォードは再びレースの現場から撤退したのだ。
つまり、フォードとレースの関係は、そういう程度なのだということ。
これは、誰もが知っているフォードの姿で、それを前提にこの映画を見れば、この物語を美談にする事無く見られるはずだ。
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物語は、フォードGT40の開発現場がメインストーリー。
マッド・デイモン扮する名カーデザイナー”キャロル・シェルビー”と、彼が全幅の信頼を置くドライバー”ケン・マイルズ”(クリスチャン・ベイル)のコンビが描かれる。
前段の話として、この二人がドライバーとしてライバル関係だったことも示される。
つまりは、腐れ縁であり、無二の親友で有るというこの関係が物語の中心だ。
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最大の見どころは、フォードGT40の開発シーンだろう。
ケンが全開オーバーまで攻め込んで確認する車の挙動や、反応。
その末に弱点だったブレーキの冷却問題で危険な事故も起こる。
この開発シーンで、多くのレースファンはわくわくさせられただろう。
車内の映像も、外からの車の映像も、テストコースを走る映像も、どれも素敵で、魅力的だった。
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次の見どころは、もちろんデイトナとル・マンのレースシーン。
デイトナは、この公開の頃に今年のデイトナ24時間レースが開催されており、レース中継でもこの映画が話題に上るくらいだった。
デイトナのコースは、この映画の頃とそう変わりなく(一部シケインが付加されているのかな)、ほぼ実際のレースと比べて楽しめる。
デイトナのオーバルとインフィールドを併せたレースコースは、類い稀なるレイアウトで、それはこの映画でも見られる。
特に、1コーナー、オーバルからインフィールドに入っていく段差が、車載カメラで見る振動と音ではっきりわかる。ここの部分は、特に段差が激しく、下から突き上げるように車が振動する様子が、何度も登場する。
この臨場感は、実際のレース中継並にわくわくする。
そして、このレースの内容もまたアメリカンモータースポーツの醍醐味が見られる。
すなわち、レース後半のストラテジーが秀逸だ。
勝つためのレース運びと言うものを見せつける。
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ル・マンのシーンも見ごたえが有る。
スタートからダンロップブリッジをくぐり、テルトル・ルージュを駆け抜けると6キロに及ぶ直線路ユノディエール。このフォードが参戦した頃は、ユノディエールは全区間ストレートで、最高速が出る区間だった。
現在は、2つのシケインで、2キロずつの3つのストレートに区分されている。
直線の終点は、映画の中でも見どころになっていたミュルサンヌの直角コーナー。ここのブレーキ勝負が勝敗に大きくかかわっていた。つまり、マシンの優劣は”ブレーキ”だった。そのブレーキに関わる逸話が、重要だった。
コースについて言うと、おそらくホームストレート手前が今のコースと大きく異なる。
1966年のフォード参戦後、1968年にホームストレート手前に減速のためのシケイン(フォードシケイン)が作られた。この辺りは、映画の中でちょっと今と違うと感じたので、シケインは無いコース取りだったように思う。
まぁ、この辺は、見る側の満足度に応えるため、きちんと作られていたのだと思う。
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レースシーンの表現は、少し実際よりもスピード感を重視しているように感じた。
もっと耐久レース的な表現も有って良かったのではないかな。
確かに、ブレーキの冷却問題の解決などは、耐久っぽくて重要なシーンだ。
デイトナのレースでのエンジンの温存と終盤のGOサインは、しびれた。
今でこそ、ル・マンもデイトナも全開で走り抜けるのだけれど、昔の耐久レースは車をいたわり、ゴールまで運ぶという性格が有ったように聞く。
そういう古き良き耐久レースの場面も見てみたかった。
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ル・マンを含めて、歴代のレース映画として名画がいくつも有る。
スティーブ・マックイーンの「栄光のル・マン」
ポール・ニューマンの「レーサー」
ニキ・ラウダとジェームス・ハントを描いた「ラッシュ プライドと友情」
など。
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マックイーンの「栄光のル・マン」は別格だろう。
当時のル・マンを本当には知り、走ることができた役者は彼一人だった。
そして、当時のトップレーサーたちも彼を認めていたから、この映画の制作には多くのレーサーとチームが協力している。
さらに、そのメイキングを見ると、とてつもない努力の後が見て取れる。
カメラカーなど、レーシングカーに、専用のカウルを用意して、大きな映画撮影用のカメラを搭載したまま、300キロ近いスピードでユノディエールを、レーシングカーとともに駆け抜けている。
そんな撮影で作られた映画だから、映像の迫力は他に追随を許さない。
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ポール・ニューマンの「レーサー」は、インディー500の裏舞台を忠実に映像化している。
インディー500は、6月の1ヶ月を通して行われる壮大な祭りだった。
そして、そのレースは尋常じゃないスピードでオーバルコースを駆け抜ける。
そんな米国最大の祭典のレーサーの姿をピット裏から見る映像は、必見だ。
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「ラッシュ」では、同時期にトップ争いをした正反対の二人の名レーサーのレースに臨む姿を舞台裏から現した。
レーサーは、やはり人なのだと知らされたとき、レース観戦はまた違って見える。
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そして、この映画「フォードVSフェラーリ」が見せてくれたのは、レースに臨む開発現場だった。
この逸話ならではだと思う。
マシンの開発は、どんなレースにも有ることだろうけど、この場合、この開発こそが重要だった。
だから、レースの現場よりも、開発現場が重要だった。
そして、そこに主人公の二人が居た。
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