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ゴーストランドの惨劇の海のレビュー・感想・評価

ゴーストランドの惨劇(2018年製作の映画)
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パスカル・ロジェ監督、春爛漫の四月生まれというのはさすがに悪質なデマではと疑ってしまうくらいの春とか季節自体からかけ離れた大いなる変態です(天才!)、序盤からキレッキレの世界創造能力が発動されており、感動不可避だった。『MOTHER マザー』『マーターズ』『トールマン』に続いて本作、ここまで女ばかりだと、このひとは少女/母娘/女二人、というのによほど強い思い入れがあるのだろうと勘ぐってしまうが、それはパスカル・ロジェ監督作品だけに言えることではなく、フレンチホラーは全体的にそういう傾向がある(イメージ)。有名どころは言わずもがなで、なぜか日の目を見なかった『リヴィッド』や『ネスト/トガリネズミの巣穴』、さらにここ最近の『テルマ』や『RAW〜少女のめざめ〜』にいたるまで、女女女…である。そして、彼女たちを極限まで苦しめ酷い姿にしておきながら、「女神」とか「永遠性」とか「再生」なんてものを絶妙に織り込んで他ジャンルとは一線を画している作品が多く、色んな意味での強さにおいて圧倒的に勝っている。魅られたさと観られたさの戦闘の中で変質し生き残った者たちだけが稼働できる領域で表現される真実、それらが的確に物事の中心を貫いているのを目にするたびにとても胸が熱くなる。だって、肉を剥いだ骨の上に服を着せたようなドラマチックは好みじゃないし、血も肉も骨も服も合わせて物語は完結してほしい。歩くのをやめ踊り始めてしまった(あるいは逆)タイミングが自分と重なる物語にひとは感情を溶かし流し込む、だけれどその変化はどこかの誰かの目には滑稽かあるいは恐ろしいものとして映る。ラヴクラフトを敬愛する少女について、作中で「自分の血で泣くような子がホラーだなんて」と語られるが、認知的適応と一過性の戸惑いの調和を保っているかぎり彼女は少女であり続けるというのならば、理想ってイメージとは裏腹にとても残酷なものなのだなと思います。でもわたしもできる限りの間は少女で居たい、それは他者の求める永久の少女に魅せられたわけでは決してなく、真っ白なドレスを汚す者に反抗し続けるために、わかりやすく少女で居たいと思うのだ。ああ、わたしは残酷な変態の中に宿る純真さが本当に嫌いだし、純真な乙女の中に宿る残酷さが本当に好きだ。恐怖が極限で仮面を外してみせる瞬間、どうしても目をそらせない。光の中で聞いた笑い声、闇の中で聞いた断末魔、光の中で聞いた断末魔、闇の中で聞いた笑い声、逃げて逃げて逃げて、あなたが捕まえて。
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