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みぽりんのJFQのネタバレレビュー・内容・結末

みぽりん(2019年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

終始「なんやねん笑?」「どういうことやねん笑!?」と笑いながら観させてもらった。

ヘタウマというかヘタヘタというか笑、、一時期、SPOTTEDなんかが作るこういうサブカルみのあるアイドル映画とかを観てたので、なつかしい気持ちにもなった。

とはいえ「ヘタヘタ笑」ではあるものの、アイドルが「病んでいく」ことについて「いいトコ」を突いてるんじゃないかな、とも思ったのだった。

あらすじなんて、まとめてみてもどうだろう笑、、とは思うものの、一応、アウトラインを追っておくと。

主人公は地下アイドルグループ「Oh!それミーオ!」のセンター神田優花。冒頭、ド下手な歌で度肝を抜く(「絶妙にヘタな役者」を見つけるのはなかなか難しいとは思うのでここは頑張ったと思う笑)。

けれど、愛嬌があるのか優花は人気投票では6か月連続1位となり、単独ソロデビューが決まる。

とはいえ、その歌でデビューさせるのは…と思う「運営」は、紆余曲折あって、あるボイストレーナーにレッスンを頼むことに。

そのボイトレ講師こそ本作のタイトルにもある「みぽりん」。みぽりんは六甲山の山中にある山荘でマンツーマンでレッスンするのがトレーニングスタイル。そこで優花は、スマホの電波も通じない山荘に向かう。

しかし、それが「惨劇(笑)」のはじまりだった。実は「みぽりん先生」は、かつて母の願望を叶えようと、アイドルを目指していた(中山美穂をモジっているのもそういうことだ)。けれど「アイドルとは完璧なもの」という高い理想を抱く彼女は、ボイトレ講師になるスキルはあっても「自分なんかにアイドルはムリ」だと挫折。

そんな、みぽりん先生にとって「歌はド下手でも愛嬌だけでソロアイドル」などもってのほか。そのため山荘内では「地獄のレッスン」が展開することに。

そして、ストーリーは、連絡が取れなくなった優花を探す運営やファンも巻き込み、予想もつなかいカオスな結末(笑)を迎えていく…

映画ではアイドルにまつわる2つの理想が描かれる。「完璧であること(偶像)」と「未熟であること」だ。

この2つのうち、「未熟さ」という一方の理想を極限化させれば「ド下手なのに人気センター(そのうえ彼氏どころか夫がいる笑)」の優花となり、「完璧」さという理想を極限化させれば「ボイトレ講師でも自分なんてまだまだ」だと思うみぽりん先生となる、と。そういう構図で映画は描かれる。

けれど、少し考えれば、いや、たいして考えなくてもわかるが、それら2つの理想は「明るい暗さ」のように相入れないものだ。にもかかわらず、日本のアイドルには「不可能な両立」が求められる。

ならば、相入れない「2つの極」が同居した時は、モメるに決まっている。病むに決まっている。そこはカオスになるに決まっている(笑)だからこそ映画はラスト10分「怒涛のカオス」を描き出すのだった(「園子温映画のようなカオス」とか書いてるメディアもあったが、よく言い過ぎだろう笑!)。

しかし、こうして笑いながら書いているが、考えてみれば、これは実際のアイドルカルチャーの現場でも起きていることであって。
例えば、「スキル重視のKPOPに比べ日本のアイドルは云々」という声に対し、彼らは「何言ってんだ!未熟さからの成長を愛でるのがJアイドルだ!」と言い返す。

だが、その一方で。彼女たちの恋愛が発覚すると「アイドルは疑似恋愛を売るプロなんだぞ!」「プロ失格だーー!」と罵詈雑言が飛ぶ。

未熟がいいのか、プロであってほしいのか、どっちやねん笑?という話だ(現場の人たちからすれば「未熟さのプロであれ!」ということだろうけど、そんなものは「レトリック」に過ぎないと思う。)

いや、自分は当事者でないから笑っているが、当事者のアイドルからすると、こんなふうに、その時々で別々の基準を突き付けられれば「どうせぇちゅうねん」となる。実際、「病んで」しまう子もいる。

また、こんなふうに相いれない2つの基準をその時々で使い分けることは「ダブルバインド」と言われ、いわゆる「毒親」の典型的なスタイルでもあったりする。
(例えば「あなたは好きに選んでいいのよ」と口ではいいながら、子供が「好きな方を選ぶ」と「どうしてあなたは…」と急に不機嫌になる母、、などのありがちなパターンを思い出してもいいだろう。)

こうした「ダブルバインド」スタイルの元で育つと子供は病んでしまう。
実際映画でも「私みたいなダメ夫をもたないように=あなたのためよ!」と言いながらも「あなたはアイドルになりなさい!=あなたがどう思おうと命令!」と、みぽりんに言い続ける母の姿が描かれる。だからこそ、みぽりんは「お薬漬け」の病んだ毎日を送ることになるのだった…。

さらに、もっと大風呂敷を広げれば、これは(明治以降の)「日本という国」の特徴なのかなとも思ったりする。

この国は、一方では「強い欧米のように近代化を進めよ」と言われつつも、他方では「欧米にはない”純真な真心”こそが日本の国柄なのだ(非欧米的なものを愛でよ)」とも言われるのであって。

経済についてだってそうで。一方では「資本主義社会なのだから金を稼ぐプロであれ!」と言われながらも、他方では「儲け儲けではないところが日本の美徳なのだ」とも言われるわけで。

そんなふうに2つの基準を、その時々で使い分けられれば、病んでしまうというか、どっちに進んでいいか分からなくなる。

そんなことも、ラストの三島由紀夫「憂国」ばりの切腹シーン(よく言い過ぎ笑)から感じてしまったりもする。

そう考えるなら、本作は、六甲山の山荘を舞台に、アイドル-母子-国家に通底する「病みの構造」を串刺し的にあぶり出した力作、ということになるのかもしれない。
いや、そんなことは絶対にないんだろうけど笑
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