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システム・クラッシャー/システム・クラッシャー 家に帰りたいのDのレビュー・感想・評価

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前作「消せない罪」でみられた、ドイツの映画作家らしい社会派テーマを複数軸同時進行、時系列操作を交えて描けて、重厚な物語を推進させる実力派である新鋭ノラ・フィングシャイト監督。

製作も務めた主演サンドラ・ブロックの名演が凄みをみせ、共演にビンセント・ドノフリオ、ビオラ・デイビスらの存在感が光った。

特に、存在感のある主人公をサンドラブロックが演じ、過去の罪に捉われ翻弄されている様が物語の中心に置かれていた。

さて、本作においては、その原点がみられ、もっと強烈な個性を持つキャラが描かれる、監督デビューとなる力作だった。

大人が作り上げたシステムに反抗し、手がつけられない子どもを特定する隠語である「システム・クラッシャー」。

生まれついてのアウトサイダーである、9歳の少女ベニー。

彼女もまた過去のトラウマが元で、心を許せる相手がほとんどいない状態で、精神的に不安定、全方位的に牙をむけて、刃向かっていく。

金髪、青い目、ピンクの衣服といった一度みたら忘れられないイメージを叩きつけられるキャラクターだ。

浮き沈みの非常に激しい気性が荒い存在で、ほとんど野生動物に近く、飼い慣らすことは不可能。

親からも見放され、あらゆる施設をたらい回し、どこもお手上げ状態で、事態はますます悪化するばかりで、負のスパイラルに陥っている。

その描写が独特なのは、過去のフラッシュバックだけではなく、フラッシュフォワードまで用いることで、過去も未来も暗示されているところにある。

このような表現は、映画でみるぶんには、御伽噺のように、鑑賞できるが、実際世の中にはこういった制御不能の子どもが存在するという事実に向き合い考えさせられる。

「狂っているのはおれか世界か」はMMFRでの冒頭のナレーションだが、ここでもその言葉は引用可能であり、べニーのマインドとしても表現できる。

多様されるベニーの激しい感情表現と、ピンクの色彩が見事なまでに渾然一体となり、相乗効果として作用し、ルナティックハイの極みとなっている。

ベニーを演じるヘレナ・ツェンゲルの演技も特出した存在感があり、新たな逸材であることは疑いの余地はない注目株だ。

ベルリン映画祭銀熊賞。
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