耶馬英彦

システム・クラッシャー/システム・クラッシャー 家に帰りたいの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

3.5
 2022年の邦画「こちらあみ子」に似ているかもしれない。あみ子を演じた大沢一菜(オオサワ カナ)を見事だったと褒めたが、本作品でベニーを演じたヘレナ・ゼンゲルの演技は、超絶の域に達するほど凄かった。
 システムクラッシャーというタイトルの言葉は、初めて目にした。オフィシャルサイトによると「あまりに乱暴で行く先々で問題を起こし、施設を転々とする制御不能で攻撃的な子供のこと」らしい。

 ベニーに比べれば、怒りの発作で暴力沙汰を起こしたりしないあみ子の方が、まだましだ。あみ子は他人の気持ちを理解しないが、ベニーは他人の権利を理解しない。自分の思い通りにならないと、途端に暴れ出す。
 大人だったら警察が逮捕して、死ぬまで収監すれば済むところだが、子供だからそうはいかない。アメリカだったら、7歳以上は大人と同じ罰を受けるから、ベニーは刑務所に入っているところだ。日本では14歳以上が少年院送致などになる。ドイツはどうなのか不明だが、会話の中に12歳という年齢が出ていたので、その年になると刑務所や少年院などに送ることができるのだろう。
 ということは、ベニーの将来はほぼ決まっている。その前に死ぬかもしれないが、死ななければ、12歳になった途端に成人と同じ罰を受けることになる。犯罪はエスカレートするから、いつか凶悪犯罪を犯すだろう。ドイツは死刑がないから、無期懲役か。あまり幸せな人生ではないようだ。9歳のベニーに残された自由な時間はあと3年弱しかない。

 問題は、ベニーがどうしてそうなったのか、ということだと思う。行動をみるとADHDの傾向が見られるが、ADHDが他人への攻撃に直接的に繋がることはない。ベニーは他人の権利と周囲の状況を平気で無視する。その精神性はどこから来たのか。
 父親の暴力によるトラウマの話が出てきて、顔を触られると思い出して暴れるとなっているが、トラウマが直接暴力衝動に結びつくとは考えづらい。

 ずっと疑問だったが、映画はひとつの答えを用意している。ファストフードのレストランのシーンだ。ベニーが傍若無人の振る舞いをするのを、母親は叱らない。世の中が自分の思い通りにならないことを知らしめることをしないのだ。
 親は子供が幸せになることを祈る前に、社会で生きていける基礎を身に着けさせる必要がある。それをしないと、子供は自分が世界の中心であると思い込む。やりたくないことはしない、やりたいことは無理を通してでもやる。学校に行きたくないベニーは、学校で暴れれば行かなくて済むことを知っている。
 もうひとつの問題は、ベニーには自意識が欠如していることだ。周囲の他人からどう思われるかをまったく気にしない。その割に、相手が何を嫌がるかを知っていて、躊躇うことなく実行する。

 本作品はベニー本人を描きつつ、周囲の人間模様もきちんと描く。どちらかというとそちらに主眼があるのかもしれない。ベニーの将来に絶望しながら、それでもなんとか社会に適応できるようになってほしいと願う人、関わり合いになりたくない人、責任を放棄する母親、鎖で繋ぎ留めることができればいいのにと、ベニーを狂犬扱いする人。いろいろな人が登場する。
 ベニーに関わることは、ある意味、極限状況だ。ベニーの人権を認めなければならないことは分かっている。しかしベニーに攻撃される側の人権も守らなければならない。ベニーに権威は通用しない。理屈も正論も無駄だ。ではどうするか。世界観と覚悟が試される。とてもつらい作品だった。
耶馬英彦

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