叡福寺清子

システム・クラッシャー/システム・クラッシャー 家に帰りたいの叡福寺清子のネタバレレビュー・内容・結末

3.4

このレビューはネタバレを含みます

エンドロールに流れたニーナ・シモンの「Ain’t Got No, I Got Life」は「私には何もない、けど私には人生と自由がある」と高らかに歌っておりましたが,結局ベニーさんには自己ですら制御不能な御自身しか残らなかったじゃんと批判するのは辛辣すぎでしょうか.こんばんわ.三遊亭呼延灼です.

9歳と9ヶ月のベニーさん.母親が,ベニーさんの顔にオムツを押しつけちゃうような筋の良くない男を連れ込んだ結果,激しい癇癪持ち,そして自身と自身の怒りを制御できなくなってしまいました.昭和初期あたりまでの本邦だったら,狐憑きと恐れられ村から遠く離れた山小屋で一人ひっそりと生涯を送ったことでしょう.視聴しながら,システムクラッシャーとカテゴライズされ,システムに適合できるように社会的圧力を加えられるのと,本人のアイデンティティには一切手を付けない代わりに社会から隔絶した生活を送る.どちらの方が本人にとっては幸せだったんでしょうね.ってやっぱり辛辣ですかしら?後者は少なくとも本人に中途半端な期待を持たせないだけ,罪は軽い気が致しますが如何でしょうか.

終盤,最後の綱であった通学付添人の男性宅を飛び出したベニーさん.一人森の中でひっそり凍死したと思いきや,どっこい生きてて,ケニアに行く・・・かどうかはわかりませんが,個人的には凍死した方が,システムから逸脱した人間を大勢の大人が関与しても救えなかったという無情感がでて良かったのにって言うのも,やっぱり辛辣すぎでしょうか.