当方、ストーンズ派。
のっけから地雷を踏みにいったが、
だからといってビートルズが嫌いであるわけがない。
ロック馬鹿を自称する人達にとっては、
英国が生んだこの偉大なふたつのバンドは避けるべからざるマストであり、
中学生の頃は
ボン・ジョヴィやモトリー・クルーなど当時の売れ線に熱中しながらも、
ジョージ・ハリスンの「セット・オン・ユー」も大好きだった。
リアルタイムではない世代の多くが
「儀礼的に触れておこう」程度の入り口だったとしても、聴くほどに傾倒していく人もまた多いビートルズ。
どの分野にも大きな素地をつくった先人がいて、
手塚治虫も黒澤明も、それまでの手法を踏襲しつつ、彼ら以前・以後で語るならば、その革新性においてビートルズがもたらしたポピュラー音楽のイノベーションは誰にも否定しようがない。
数年前、「僕はビートルズ」という漫画があり、大ファンではない自分でさえ気持ちのよい題材ではなく、
途中で読むことをやめてしまった。
日本人のコピバンが本家のデビューより少し前にタイムスリップして、彼らの楽曲を自分たちのオリジナルとして世に出す、、、といった内容。
なにしてくれちゃってんのよアンタら。
少しも感情移入できず。
他方、本作の主人公ジャック。
自分と同様、正しい洗礼を受けているわけではないところが好ましく感じられたが、
ビートルマニアはどのように見るのだろう。
唄は心情の吐露と信条の発露であり、
本人のバックボーンがあってこそ
人々の琴線に触れるならば、
ジャックならずとも、本家以外の誰だろうと、自分と他人を同時に生きることはできないし、ビートルズのいない世界でビートルズになることはいわずもがな、である。
物語中盤以降、客席が数秒間ざわつくシーンあり(苦笑)
ターニングポイントとしちゃあベタではあるけれど、まぁ、アレはざわつくよなあ。
ジャックは好青年すぎる。
ストリートやパブ向きではあるので
ビートルズよりストーンズ目指せば?
と言いたくなるが、
太く短くあるべし!みたいなところがあるロックシーンで、いまなお転がり続けるストーンズの最大の魅力は
スノビスムとアンチズムが同居したところに感じる色気であり、
それこそがライブバンドとしてパフォーマーであり続けることが出来る大きな要素だろうと。
ジャック!
悪友ロッキーのような不良性がキミにも少しでもあれば、ビートルズには及ばずとも
自らの才能で、充分にやっていけるぞ!
それとサマー・ソングも好きだぞ。