Kamiyo

男はつらいよ 寅次郎恋やつれのKamiyoのレビュー・感想・評価

4.5
1974年 ”男はつらいよ 寅次郎恋やつれ” 第13作

吉永小百合のマドンナ第二作で前回同様歌子を演じ
その切ない演技が印象的な作品。
個人的な感想なのだが私はこの頃(30前後か)の
吉永小百合が一番好きだし美しいと思っている。
ミニスカート姿がその年齢が醸し出す色気と相まって何とも素敵だ。

冒頭   寅が花嫁を連れて柴又に帰る夢から始まり
本編では、おいちゃんも似たような夢を見たと話す。
これらの伏線から、とらやのみんなは寅が結婚話を持ってきたとばかりに勘違いしてしまうのは、もう当然の成り行きだ。
ここで本格的に寅のアリアが始まる。
通常ならこの寅の一人語りは、映画の中で描かれたことを
寅が自分流にアレンジを加えて話すのだが
今作では、映像での描写はなく、寅の話だけで
これまでの経緯が伝えられる。
しかし、そこは語りの巧い渥美清のこと。
しっかりと画面まで思い浮かべられるからお見事

“結婚話騒動”のおかげで、さくらとタコ社長は
島根県 温泉津(ゆのつ)まで行くことになる。
絹代さん(高田みずえ)と出会った瞬間に寅の恋の顛末が分かるのだが
この時の倍賞千恵子の演技が、相変わらず巧い。
兄のショックを知り、その気持ちを慮る複雑な表情が、素晴らしい。

さくらはいつも寅に優しいし、ひろしはいつも気が利いている。

温泉津の駅でくたびれた様子で電車待ちをするさくらと社長
後にするプラットホームで佇むさくら、そこから学校の校庭が見え
吹奏楽の練習が聴こえる。
このじっと眺めるシーンが少し長めなのである。
さくらのやるせない気持ちが伝わってくる。
何ということもないシーンなのだが
二人の無駄になった旅を慰めるかのようなこの場面が好きだ。

この二人の再会シーンで、僕はもう たまらない。。。。
寅と歌子の、驚いた信じられないような表情と
言葉を発するまでの、間の取り方が実にいい。
津和野の食堂で一人さびしくラーメンをすする寅の前に
聞き覚えのある声が聞こえてくる。
歌子が感極まって涙を流す。
二人して街を流れる川面を眺めるシーンも印象的。
歌子の悲しい事情を聞き同情する寅。
それとは対照的に対岸を園児たちがめだかの学校を歌いながら通り過ぎていく。暗と明の対照。
こういう演出がいちいち心憎い。

歌子柴又にやってくる
一家団欒の席で人間の幸せについて語り合うシーンがあるが
このことがラストの歌子のモノローグで回想される。
今回のテーマでもある。
言うまでもなく、父との関係。
父とは結婚で家を出てから会ってない。
夫が死んだ時も、父はハガキを送っただけ。
溝が深まるばかりの父と娘。
父は私の事など何も思っていないの…?
親に恵まれなかったさくらがその不器用な父親をかばう。
でも歌子は「いくら心の中で思っていても、それが相手に伝わらなければそれを愛情と呼べるかしら」と父のことを許さない。

焦れったくなった寅が狂言回しのようにして父(宮口精二)の元を訪れ意見するというお節介を焼いてしまう。
出過ぎた行いを皆からこんこんとと説教されるけど、
「向こうは挨拶にもこないじゃないか」という
寅の言い分にも多少の理がある。

結局は寅の行動がきっかけとなって
歌子と父親(宮口精二)の再会シーンだ。
口下手な父親役を宮口精二はうまく演じている。
突然訪れたとらやで待つ父親。
あわてて寅が外に出ると下手から
歌子が風鈴をもって喜びいさんでやってくる。
そしてとらやの店内で待つ父親に気づいて
静かな感動的なシーンが演じられてゆく。
歌子の「長い間心配をかけてごめんなさい」という一言で
それまでの父と娘の間の垣根が取り払われ、
感極まってふたり涙を流す。
ここはとらやの面々でなくとももらい泣きをしてしまうだろう。
この場面での宮口の存在感は事のほかすばらしい。
セリフ
『いや。。。何も君があやまることはない』
『あやまるのは多分私の方だろう。。』
『私は口がヘタだから 』
『何というか誤解されることが多くてな。。』
『しかし 私は 君が自分の道を 自分の信ずる道選んで』
『その道ますっぐ進んで行った事をうれしい』
『私は 本当にうれしい』

彼女の家を訪れた寅との別れのシーンもすばらしい。
小百合の浴衣姿が格別映えていて
寅が「浴衣きれいだね。。。」とひとりごちるのもわかる。
ワシントンを飲んだから
Kamiyo

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