雷電五郎

ラストナイト・イン・ソーホーの雷電五郎のレビュー・感想・評価

4.0
霊感を持った田舎育ちのエロイーズが服飾学校の合格を機に憧れの大都市ロンドンへ引っ越すが、1人暮らしのために借りた部屋で夜な夜な一昔前の華やいだロンドンを夢に見るようになる、というあらすじです。

ホラーの体裁を装いながらも、この作品が主に訴えていることは極端に簡潔にまとめると

「女性を買う男・買わせる男は万死に値する。女性はそういう男に対し死に値する復讐をしても罪を感じる必要はない」

です。

大変な熱量でこの主張に尺が割かれています。「プロミンシング・ヤングウーマン」と同じく、攻撃的とも言えるフェミニズム作品でフェミニズムには男性が介在する余地はないという明確な女性主体の女性同士によるケアを重視した映画です。
これを単なるサスペンスやホラーとしてしか解釈できないのであれば、作品が最も訴えたいテーマに気づいていないのではないかと個人的には考えます。

田舎からロンドンへ出てきたエロイーズを最初に襲ったのはタクシードライバー男性からの無遠慮かつ無神経な性的眼差しとセクシャルハラスメントでした。
それまで祖母と生活していた安全圏から「女」というだけで年齢すら関係なく男性に性的搾取を受けるということ自体が彼女にとっては初めての出来事であり、そして、嫌悪を抱くには充分なエピソードです。

純粋培養ともいえるエロイーズの対比的に都会的で遊び慣れたルームメイトが登場しますが、エロイーズは彼女には憧れを抱きません。何故なら、ルームメイトのキャラクターは今までの映画にもよく登場する、男にとって都合が良いだけの性に奔放な女性であり、その女性像をもって「先進的」とされてきた使い古された欺瞞だからです。

エロイーズは夢の中で才能もあり美しく自信に満ち溢れ確たる自分を持った女性アレクサンドラに強く惹かれます。
アレクサンドラは当然歌の世界で一躍ときの人となり栄光を手にするかと思いきや、エロイーズが見たのはそういった女性の才能と矜持を踏みにじり、性的客体としての女体を搾取し続けながら、罪悪感すら抱かない醜悪な男達の姿でした。

そして、醜悪な男達の対比としてエロイーズの恋人となるジャックが登場しますが、彼は逐一エロイーズを気づかい、自身の欲望を押しつけることなく彼女を信じて支え続けます。
従来ならば女性が女性であるというだけで担わされる役割を男性であるジャックが務め、他者をケアするという立場に性別は関係ないと示し、更にアレクサンドラを貶める男達との明確な価値観・人間性の違いを明示しています。

アレクサンドラが望んであの場所にいたのだと元刑事の男性は言いましたが、それは男による罪悪感逃れの責任転嫁にすぎません。
アレクサンドラは最後に「望んでいた訳ではない」とエロイーズに告白します。
アレクサンドラに殺害された男達の助けを求める呻きを切り捨て、エロイーズは最後までアレクサンドラを思いやり、炎に焼かれる彼女を見送ります。

売買春や風俗店など、当たり前のように買われる側である女性に問題があるかのように報道されますが、金銭で他人の尊厳を買うことはただの人身売買であり、人間として当然の倫理観や道徳観があればそれがいかに正当化できない不当で醜い行いなのか理解できるはずで、現状日本ではそのような感覚を持った男性の方が少数派ではないかと思います。

買うことは権利ではありません。まして、ケアの一貫でもありません。こうした行いが後ろめたく恥ずべき行為であることを認識しなければアレクサンドラのような女性は今後も次々と存在することになるでしょう。

男性の監督がこういった映画を作り、同じ男性に「自分がまともな男だと思い上がるな」というメッセージを送ることに大きな意味があると思います。
最後まで辛い内容でしたが観てよかったと思える作品でした。
雷電五郎

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