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華麗なるギャツビーのArkのレビュー・感想・評価

華麗なるギャツビー(1974年製作の映画)
4.2
2024-57
ジェイ・ギャツビーが戦争から戻ると、かつて愛し合っていた最愛の女性デイジーは大富豪のトムと結婚していた。貧乏だったギャツビーはやがて巨万の富を築き、ロングアイランドに大豪邸を持ち、デイジーを求めて豪勢なパーティーを開くようになる。そしてついに再会するのだが……。



F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』が原作。ディカプリオの2013年版は本作のリメイク。

新旧を比較してみると、やはり2013年版の方が現代的で、話も分かりやすい作りになっていた印象。対して本作は静かに話が進んでいくし、語り手であるニックからの説明が13年版よりは少ない気がした。なので、こちらの方がサッパリしているような感じ。
話は当然新旧比べても全く同じ。

かつて愛し合っていたデイジー。最愛のデイジー。ずっと自分だけを見てくれていると思っていたのに、待ちくたびれてトムと結婚していた。
過去の恋を忘れられず、デイジーが再び自分のもとへ戻ってきてくれると思っていたギャツビー。かつて交わした愛が永遠だと、不滅だと、そう思っていたのか。あまりにも一途すぎて恋の思い出を“過去”にできず、過去を生きる男の哀しい物語だと思う。

よく言えば愛に生きた男。
悪く言えば往生際が悪すぎる男。
諦めれば良かったものを、デイジーを追いかけたあまり……。

でも、ニックが作中で話すとおりギャツビーはロマンチックな男なのだ。デイジーに会いたくてデイジーの家の対岸に大豪邸を建て、パーティー嫌いなのに大勢を招いて豪勢なパーティーを主催する。そして客人たちの中からデイジーを探し、いないと分かると奥へ引っ込む。
そして再会すると、愛を取り戻して全てを昔通りにしようとする。でも昔通りにはならない。なるわけがないのだ。8年の時を経て2人とも歳を重ね、色々なことがあの時とは違うのだから。しかしギャツビーはそれに気づかず過去にすがった結果があのラストだ。確かにロマンティックだが、私の目には非常に哀しい話に見える。海の向こうの光に何を見ていたのか。

助手席にいたのに彼女を止めなかったギャツビーも同罪と言えると思う。

ディカプリオのとレッドフォードの、両方を観るとどうしても比べてしまうのだけども、個人的にはこっちのギャツビーのほうがギャツビー。最初はギャツビーがギャツビーではなくレッドフォードにしか見えなかったんだけど、慣れたらこっちの方がギャツビーだった(笑)
ディカプリオのはゴージャスでやや尖った雰囲気のあるギャツビー、こっちは普通の男感が残るギャツビー、ってイメージかな〜。いや……レッドフォード贔屓をしている節もあるな(笑)

どんなラストか知ってるから最初から切なかった。“例のシーン”の演出はこっちの方が好きだったな。浮き輪と一緒にっていうのがリアル志向というか。

やっぱ、デイジーが嫌だな。トムも好きだしギャツビーも好き、どっちもキープしたいっていうどっちつかずなのがどうしても嫌だ。ハッキリしろよと思ってしまう。しかも不安定でヒステリックなので面倒くさい。ある意味では一番女っぽいキャラな気もするけど、私は嫌だな〜。

コッポラがこういう作品の脚本も書いてたってのが意外。

男性陣がめっちゃ汗かいてたのは、夏の蒸し暑さの演出なのかガチなのか?(笑)
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