しおっち

華麗なるギャツビーのしおっちのネタバレレビュー・内容・結末

華麗なるギャツビー(1974年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

ピュアすぎた男と歯車がある意味噛み合ってしまった物語

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小説やデカプリオが主演のグレートギャッツビーを数回過去に鑑賞したことがあり内容を把握したうえでの視聴(モチベーションとしては禁酒法時代の服装を見たく折角なら未視聴をと思い視聴)

直接の描写はないもののアングラビジネスで成り上がったギャツビー。全てはすでに結婚してしまった最愛の女性デイジーを迎えたいがため、貧困出身にも関わらず弛まぬ努力で名士たちと同様、それ以上の資産を持つことになった。

この物語の印象的なシーンは「デイジーの女性の幸せな在り方」「ギャツビーがデイジーを館に招き色とりどりのシャツ(ターンブル&アッサー製)を舞わせ、デイジーが感涙するシーン」「デイジーが最終的に夫とともに欧州へ一旦移住することニックに伝えるときの言動」

デイジーの女性の幸せな在り方は「バカで美しいこと」。娘を育てる際の指針として語るが、最終的に欧州へ赴く際に、自分に対してそうであることが描写される。個人的に「賢く美しい女性」のほうが好みであるが、道徳のあるバカで美しい女性は確かに幸せになると直観的に思えた(デキャッツビー鑑賞時)

また73年の本作のほうがシャツが舞うシーンのデイジーの感情が読み取りやすく、他の場面もデイジーの心情描写はわかりやすく感じた。デキャッツビーは豪華絢爛さが今どきでシャツが舞うシーンもクローゼットに高さ(というより吹き抜け)でより印象的。

とはいえ、あの時代のシンプルなカメラワークでこの華やかさは名作が色褪せないのをダイレクトに感じられた。



ギャツビーの過去を見続けて希望する未来へと突き進み、ありえない馬力で自身としては後ろへボートを漕いだと思うが、その目の前に座っているのは彼の中にいるデイジーであり、今その瞬間の彼女でなかった。ボートの行く着く先は湖の対岸ではなく、まさに死の淵であったのは妙にしっくりくる。

彼の死後のシーンはデキャッツビーでは印象に残っておらず、こちらのほうが見心地として気持ちが整理されやすく良かった。


で、肝心の服装はラペルの幅があるスーツええなあであった(もっと考証しろよ...)
しおっち

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