河

地上の輝きの河のレビュー・感想・評価

地上の輝き(1969年製作の映画)
4.8
パリの夜の社交場で物質的で刹那的な生活の繰り返しをしていた主人公が、自分のルーツであり幼い頃に母を亡くした場所でもあるチュニジアに旅する話。
橋で歌われていた歌が、同じ日々の繰り返しによって気づかない間に時間がただただ過ぎていくっていう歌詞によって、旅立つ主人公のパリでの生活に対する否定的な心境を表していたのに対して、最後には繰り返される似たような流行歌として、その刹那的な繰り返しへの肯定に反転する。
冒頭のツアーガイドは、建築物に過去生きた人々の記憶を現前させながらも、劣化や建て替えによってそれがなくなっていくことを語る。そしてそのツアーガイドという行為自体が同じことの繰り返しになっている。そして、そのツアーガイドによってヴェルサイユ宮殿での人々の刹那的で物質的な生活が語られる。そのヴェルサイユ宮殿を同じような生活を送っていた主人公が最初と最後の二度通る。それも同じく否定的な意味合いから肯定的なものに変化しているような感覚がある。
さらに、主人公がパリとチュニジアを行き来する生活を送ることを決めることで、一回きりの旅もしくは逃避だったものが繰り返しに反転する。
繰り返される物質的で刹那的な生活に対応するものが、変化していく芸術的な生活だとしたら、主人公の最初の目的は前者から後者に移ることで、ただ、それが空虚なものに感じた理由は時間に自覚的ではないからで、旅において記憶を通して過去に気づくことによって時間を自覚することになる。それによってパリでの生活も肯定的に捉えられるようになったっていう話のように思う。
視線の対象もイメージの繋ぎ方も不規則で、さらに捉えれそうで捉えれないようなテンポを持っているようなこの監督特有のモンタージュがあって、見てはいるけど記憶には残らないような映像が続く。その一方で、同じモンタージュによって逆に記憶に残る瞬間が生まれたりもする。それが全ての瞬間は一瞬で、記憶によってそれが永遠になるようなこの映画の主題的な感覚と一致していて非常に良かった。
また、社交場のシーンでの時間の過ぎる遅さや退屈さだったり、旅立つ前に窓から外を見るシーンでの日常への名残惜しさのような感覚だったり、チュニジアに来た時の新しい環境への眩暈のような感覚だったり、同じモンタージュでも全て一様に見えるのではなく、様々な感情が表現されている感覚がある。
この監督の前作見た時にこの独特のモンタージュとあとしつこいし感傷的な音楽にかなり面食らってついていけなくなった記憶があって、この映画はそれで慣れたからか最高だった。ツアーガイドがモーツァルトを演奏していた人達がその場にいるかのように話して歌い始めた瞬間その音楽が鳴り出すところ、その瞬間のカメラワークの最高さも含めてすごく映画的な良さがあった。
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