文化人類学専攻として、調査地・対象者について自分のものさしで測ってはいけないということは意識している。
姥捨山的なところとか、
無理矢理結婚させて、性的関係を結ばせるとか
私自身、理解は十分できるし、そこまで驚かなかった。
トランスに入り、神と一体化するだの取り憑かれるだのも理解はできる。
だからこそ、
この映画自体が、先住民・少数民族の儀式怖〜って思わせて終わる映画、すなわちホラー映画として消費されることに疑問を感じる。
死生観の違いなんて世界中探せばいくらでも出てくるし、逃げる10代前半の女の子ををむりやり婿と小屋に閉じ込めて、結ばさせるものもある。
ただ気持ち悪い、おかしい、近代的じゃないでまとめるのには単純すぎると私は思う。
個人の権利は大切だけど、
私的に、ホラー映画ならまだしも、
ホラー映画じゃないのにその村の異様性を強調するために、主人公の女の子のボーイフレンド使うとか、グロテスクなシーンを使うのは
ちょっとな
映画としてのメッセージが伝わりにくくなってるんじゃないかなと思った。