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ミッドサマーのrensaurusのレビュー・感想・評価

ミッドサマー(2019年製作の映画)
4.5
不快感が素晴らしい映画。

まず全体を通して、カメラワーク、構図、色彩、光の演出、音や歌による効果、絵画によって顛末を教えてくるような手法、宗教らしさなど、あらゆるところが上手い。シーン一つ一つの見せ方が上手いので飽きないし、衝撃も強くなるし、不快感もこの上ない。

村へ入る際の上下反転となるカメラワークは価値観や倫理観、宗教観の反転を示唆し、何とも不吉だった。壁画やタペストリーによる顛末の示唆も、「コレやりますよぉ〜^^」という意志がビンビンに感じられ、その時点で運命付けられているような演出は素晴らしい胸糞感だった。ヤクでトリップしていることも光の演出や幻覚を可視化してくれることで「ラリってますよ」という念押しをされているようでその胸糞っぷりを確信することができる。

主人公のダニーが普段から不安定な面がある上に、両親と精神疾患を患う妹が死んでしまい、更に精神状態が不安定になっているものの、それを抑え込もうとしてしまっていることで、村の異常さによる不安も普段の不安と地続きになってしまい、不安全てを無意識に抑え込むので感覚が鈍っていく。主人公のこの不安は、映画全体の張り詰めた雰囲気を形成しており、作品全体の美しいビジュアルと共に、長いのに何故か見ていられる要因になっているように感じられる。

今作のテーマの一つはもちろん宗教だ。あの共同体では、年齢を春夏秋冬に分けて役割を与え、一巡したら文字通り自ら命を落とす。あの飛び降りトラウマシーン。前もって注告せずにあれを見せられるのはレイプに近い胸糞感があった。そして自ら命を落とすことは彼らにとって喜ばしいことであり、彼ら自身もそうなることを喜ばしいことだと諭してくる。老衰による恥辱は魂を汚すという。新たなに生まれてくる命に死んだ老人と同じ名前を付けることで、生まれ変わりとなり、命の巡りを表している。この何とも理論立っていると言わんばかりの説明が、宗教や文化などの尊重されるべき価値観であるような感覚を与えてくる。しかし、実態としては個人の意志の自由を制限した真社会性の共同体で、役割やしきたりに縛られ、権利が侵害される上に保身や儀式のために死を望まない外部の人間を易々と殺す集団であり、宗教では済まされない。ダニーの両親と妹の死も、ペレか誰かが裏で手を引いていて、ダニーと彼氏とその友達をペレが生贄に選んだという線が濃厚だと感じた。

彼氏のクリスチャンは異文化、異宗教を理解しようとする立場で描かれるが、薬物で認識を歪められているのでもはや正しい判断はできていないだろう。加えてまじないでマヤと子作りするように仕向けられてしまい、それをダニーに見られたことでダニーを完全に狂わせてしまった。生贄に村人ではなく彼氏を選ぶという決断は何とも残酷だ。この村に来なかったら分かり合えたかも知れないし、そうでなくても死ぬことはなかった。恋愛の怨念が最も嫌な形で描かれていた。

生贄を志願した村人2名も三角錐型の建物と共に燃やされるが、その断末魔は熱さに悶えているだけなのだろうか。これまで盲信した宗教が虚構だと死際になって確信したのではないだろうか。その喚き声を聞いた村人たちは共鳴し、喚き出す。ダニーはあたかも共感してくれる家族を見つけたかのように笑顔になるが、全てが仕組まれ、役割を与えられて自由を縛られ、共同体のために自分の意志に関係なく死んでいくことになるだろう。

本当に胸糞で不快な映画。日常では感じられない気持ち悪さを感じられる上に、視聴した観客は必ず心に傷を負うだろう。しかしそこから学びを得たり、価値観が変わって行動を変えさせてくれる映画だとも思う。不快であるが故に名作だ。
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