真田ピロシキ

幸福路のチーの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

幸福路のチー(2017年製作の映画)
4.5
時間が空いたので映画を見ようと思い、アジア映画が良いが韓国映画に偏りがちな傾向があるのでそれを避けて選んだのが台湾アニメの本作。何年か前の福岡アジア国際映画祭で上映されてて気に留めていた。

アメリカに住む台湾育ちの女性チーが祖母の訃報を受け台湾へと戻って来る。1975年生まれで物語の最後に学生が議事堂を占拠したと言われているので、現代パートでは30歳半ばと思われる。そんな女性の年代記。かなり長い幼少の頃は感受性豊かに世界を捉えて『アドベンチャータイム』的児童アニメの趣。サイエンスSARUのような味わいもある。結婚生活が行き詰まり老いた両親にも自分にも、例えば台湾語のバラエティー番組を嫌っていたのに今では何か親しみを覚えられるようになった変化を覚えているチーはイマジナリー祖母と会話しながら過去を思い返す。そうしたノスタルジーを想起するアニメ作品は日本にもある。影響を受けた日本アニメが『おもひでぽろぽろ』と『千年女優』というのがまさに。見てないが有名なクレヨンしんちゃんの映画もこんな感じなのかもしれない。

しかし本作の特徴は極めて現実社会に根ざした物語を描いていること。チーの誕生日(紹介石の命日)にデジタル腕時計を贈ってくれた従兄弟のウェン。その時計はお願いしてた赤とは違い黒。禁書を読んでたため警察に連行され色盲になったことがボカして語られる。ウェンを王子様と無邪気な解釈したチーはそれを学校のスピーチで話すも、教師に連れて行かれて「この話はもうしたらダメ。あなたのためよ」と釘を刺される。戒厳令下の白色テロの話よね。学校では台湾語ではなく北京語を使うよう強制されてて、それも戒厳令の描写。野犬からチーを王子様のように救った父が台湾語を妻と娘から笑われ不貞腐れて、それ以来父は王子様にはならなかったと語られるのが世代の断絶として象徴的。日本でこういうことを描くなら本土復帰後の沖縄の人が言葉で差別されるようなことになるのだと思うが、そんな描写がある日本アニメを知らない。アミ族の老人である祖母の振る舞いが野蛮人とからかわれるのも台湾人の一枚岩ではない意識の演出と見える。

幼少時代にも曖昧ながらそんな描写があるので、成長すると社会はより具体的な姿で見せられる。高校時代には台湾は民主化し両親の希望だった医師ではなく歴史や文学を志し学生運動に参加。母はそれを嫌がる。昨今の韓国映画でも度々見る光景。名門大学は出たものの上手くいかず、やっと入社した新聞社も実在の政変により失う。ウェンのツテで渡米しアメリカ人男性アンソニーと結婚するが、アジアンヘイトをぶつけられた経験を再会した小学生時のアメリカ系女子ベティに話すなど人物名や団体名をハッキリさせて描かれる。日本でこんなアニメを作れるとは思えない。実写ですら疑わしい。もっともリベラル系に批判的ならやるかもしれないが。

ベティも青い目をした金髪でも華やかな"ハーフ"美少女ではなくて、アメリカ人の父は恐らく火遊びで子を作ってて会うことはなく、成人してからは夜の街で生計を立てるしかない。紳士的な男性の子を授かるも不倫。甘くない。後ろの席にいた悪ガキ シェンもチーが新聞社で働いてた時に再会し息子がいて家を買うくらいに成功を収めていたが、実際にあった地震で死亡。チーもまたアメリカでの結婚は上手くいかなかった。夢は叶わなかった。何者かにはなれなかった。3人の回想に出て来るのが空に羽ばたくガッチャマンのOPなのが苦い。平凡に地を歩むしかない。だがそれが大人の見る作品として正しい。妊娠してるチーは子供が苦手なアンソニーの代わりに別の王子様が出てきて遠い国でハッピーにやりましたなんてことはなく、そろそろ若くもないが故郷に戻り両親や2人の子を逞しく育てるベティらと一緒に子を育てていく。これを見ると自分らの平凡さを直視できず異世界に転生して自慰に耽っている日本アニメの情けなさが際立つ。このアニメが台湾でどれほどの位置なのかは知らないが、日本でアニメファンと言われる人の多数に受けますかね。感受性の問題。

人物描写もシェンの憎めなさや娘の存在で持ってるような両親の困った感じでありながら愛おしさが本当っぽくある。特に結構自堕落な父の姿。あれでも見限られてないのはやはり幼少の王子様だった時の輝きが忘れられていないのだろう。アンソニーもどうしても子供が好きになれない人間なので別れるしかなかったが、先述したアジアンヘイトからは庇ってて悪い人間じゃない。ただ合わない。夢で男女2人の子を儲けたチーが男はアンソニーに連れて行かれるように上手い妥協点がない。そんな型にハマらない人間を豊かな心理表現で描いた良作。度々目が潤み視聴後の気分はとても良い。