horahuki

新・夕暮れにベルが鳴るのhorahukiのレビュー・感想・評価

新・夕暮れにベルが鳴る(1993年製作の映画)
3.4
誰もが幻影にすがって生きている…

シッターの仕事中に電話かけてきた変態から逃げ切ったと思ったら、今度は5年後にまた狙われるというこれまた地獄のような話。タイトル通り『夕暮れにベルが鳴る』の続編で、前作の被害者ジルと探偵ジョンがメインキャラとして再登場。今度は2人で手を組み犯人に迫るという展開。

前作が79年で本作が93年。前作は同じウォルトン監督の77年の短編『The Sitter』を『ハロウィン』のヒットに便乗して長編化したものらしいので、同じような手口が15年以上も映画のネタとして使われる程度には変わらず浸透しているっていうのは相当すごいね。『暗闇…』も含めると20年近いし、さすが有名都市伝説!!『ブラッククリスマス』も恐らく同じ都市伝説を下敷きにしてるだろうから、都市伝説が凄いのか、映画等の創作物が都市伝説を延命させてるのかどっちなんやろね。口裂け女とかは後者の方が近い気がする。

基本骨子は前作とほぼ同じ。「同じ家の中に犯人がいる」的な都市伝説展開を、怯えるシッター・ジュリアの一人芝居で開始30分を使い消化。そこからは5年後に時が飛んで、犯人が再びジュリアに迫ってくるサスペンスを描く。犯人に寄り添うように展開した前作に対し、本作では犯人はなかなか姿を現さない。というのも、5年前の事件は病んだジュリアの一人芝居だったのではないか?という疑いがかけられており、現在進行形で起こっている「犯人接近の気配」も同様にジュリアの妄想なのではないかと警察たちに一蹴されている。

もうひとつ大きな違いは、冒頭30分の都市伝説展開に異様なほど丁寧な演出が練られていること。ジュリアを中心に室内の空間を大きく見せる引いた位置からのカメラが拭い去れない心細さを語り、その心細さを纏わせたジャリアが無音の中、淡々とひとりで仕事をこなしていく姿を飾り気なく追っていくシーンがジュリアの心細さに同化し寄り添っているかのようなヒリヒリしたスリルを演出している。外と中の境界をジュリアの心境の変遷とともに脆弱性を増していくかのような意図的なやり口も面白いし、外から覗くような映像を挟み込むのも手堅い。オチは前作の方が良かったけれど、それ以外はこちらの方が好き。

それ以降はジュリアの妄想なの?ガチで犯人いるの?な両輪で進んでいくのだけど、前作で同じような経験してるジルとジョンの間にも意見の相違が見られ始める。正直それほど面白みはないのだけれど、クライマックス付近で判明する「透明人間」は前作以上に病的に錯乱した内面の気持ち悪さを感じて好きだった。前作と同じで中盤で盛り下がるのはこの監督のらしさなのかな〜😅
horahuki

horahuki