新潟の映画野郎らりほう

いなくなれ、群青の新潟の映画野郎らりほうのレビュー・感想・評価

いなくなれ、群青(2019年製作の映画)
3.5
【女神】


海岸堤防沿いを歩んでいた横浜流星がその歩を止め、驚きの面持ちで上方を見上げる。切り返された先には、堤防上に立ち 沖を見つめる飯豊まりえが映し出される。
高速度撮影で捉えられた後景波濤の審美性、海風を受け揺れる彼女の髪がエモーショナルだ。
彼女が振り返り にこやかに微笑むとキャメラは上へ〃とティルトし 大空 ―そして作品タイトル― が現れる。

上記は 僅か2-3カット、時間にして数秒の「飯豊まりえ初登場場面」であるが、飯豊と横浜の上下の位置関係、見上げる/見下ろす所作 挙動、胸衝かれた事伝わる横浜の表情、そして 飯豊に施される強い審美性と 彼女の後景に広がる“無限の大空”に依って『横浜にとって飯豊が 手の届かぬ遥か彼方で 眩く煌めく女神』である事が 瞬時に諒解出来よう。


この上記数秒のみで、作品主題の凡そ九割方が既に開示されている印象である故、本作を『読解のカタルシスを重視した謎解き映画』として臨むと大いに気勢を殺がれる事だろう。




【汝、神格化するなかれ】


理想主義と悲観主義について言及されていたが、あまりに女性を神格し 自己を卑下し過ぎである。
つまりは過度草食男子の叶わぬ恋心であり、駄目な理由構築に懸命に為る前に 先ず当たって砕けろよ、と思ってしまう。


強迫観念的潔癖症の偶像崇拝とは、叶わぬ事必定であるから、結果強い自己否定へと堕ちてゆく。
前述の堤防に於ける上下の位置関係をはじめ、公園の回想でも 飯豊の起立に対し横浜は着座であり、終盤の丘陵場面でも 彼等の位置関係は悉く“上下”の侭だ。

他者を対等の生身として見よ。然すれば自己も何ら変わらぬ“大切な人”である事が解る筈だ(自己肯定感)。人(自己及び他者)を必要以上に崇拝したり卑下するのは誤りである。


触れ合う為には、先ず互いの高低差を無くし 視線を等しくしないといけないのだから―。




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