とむ

TENET テネットのとむのレビュー・感想・評価

TENET テネット(2020年製作の映画)
4.0

特典ディスクでノーラン監督が「スパイ映画を作りたかった」という主旨の話をしていて、なるほどなぁと。

手に汗握る展開、正義の勝利、自己犠牲のヒーロー、ワクワクして面白いけれど、よくよく考えれば大して琴線に触れる何かがあるわけではない感じ、確かにスパイ映画だなあと思った。

トム・クルーズが見たことの無いアクションを追求しているように、ノーランも見たことの無い撮影表現を追求していて、その新鮮さで楽しませてもらえたという感じ。

決定論の世界でも肯定し立ち向かう作品は好きなので、すでに決まっている結果に向けて原因を作りに行くというのもなかなか面白かった。
このテーマでいくなら本来はニールが主人公になってしかるべきな気もするけれど、名も無き男目線で話が進む方が、観客もだんだん分かっていくことができるので、さすがノーランは上手いなあとも思った。


相変わらず時間をこねくりまわす作風で、さも難解な映画です!という雰囲気をまとっているけれど、赤と青の使い分けと、酸素マスクの有無、逆再生風のBGMを使うことで順行と逆行を明確に描き分けてくれているので、意外とその点では困惑しなかった。


むしろ分かりにくく感じたのは、冒頭のオペラハウスのテロ~自死を選ぶまでのシーケンス。

立て籠ろうとするテロリスト、会場を客ごと消し飛ばそうとするウクライナ警察、CIAを救出しようとする主人公たち、戻ったクルマで主人公を倒すロシア?人、それぞれの敵味方・思惑がよく分からないし、テロのどこまでが偽装で、どこまでが主人公をテネットに迎え入れるテストなのかもよく分からない。

また、逆行中のクルマにプルトニウム241を投げ込むところとか、死から逆行したニールが鍵を開け(閉め)るところとか、急にバッと物事が動く瞬間の映像も分かりにくかった。
その瞬間の始点に観るべきところにちゃんと目線が行っていないと何が起きたのかよく分からない場面がいくつかあって、その辺は観客の目線の誘導が不十分に感じた。



ここからは、物語の肝となる「逆行」について。

エントロピーが減少すると逆行するというのは現象として理解できたわけではないが、ルールとして良しとする。
エントロピーが減少したもの(回転ドアを通過したもの)は逆行するので、原因と結果が逆になるというのもルールとして分かる。
なので逆行弾は既に弾痕(結果)があり、そこに向けて引き金を引く(原因)というのも分かる。が、弾痕はいつからそこにあったのだろうか?

これはパラドクスの世界なので描くのは無理だと分かっているが、気にはなる。冒頭の逆行弾で言えば、オペラハウスの弾痕は、オペラハウス建設時にもあったはずではないか?(そもそもこの場面においてニールはわざわざ逆行弾を使う必要もない気がするが…)

カーチェイス前のドアミラーの破損も同様に、気づいたらそこに壊れていたようにしか描いていないが、いつから壊れていたのか?

映画としては、順行の世界においてこれから何かが起こるのを暗示どころか明示しているので、緊張感が高まるいい演出であるのは間違いないのだが、モヤモヤも残る。


また、弾痕の場合は銃撃前から存在するが、銃創の場合は撃たれた瞬間から生じるのもモヤモヤ。
逆行中の怪我は原因と結果が逆になるから怪我する瞬間に向かってジワジワ悪化していく(治癒の逆行)けれど、、あれニールさん逆行中に頭撃たれてるのにそれまで生きてる??


他にも気になるのはカーチェイスのクルマの挙動。
そもそも逆行中の人間は、回転ドアを通過していない順行のクルマを運転できるのか?

過去に遡ってアクセルを踏むことになるから、クルマは動くだろう。
でも逆行中の人間にとっての前に進むためには、バックギアに入れて走ることになる。順行の世界から見れば、未来に向かってひたすらバックしていたはずだ。だから走行中の描写についてはまあ異論はない。

しかし、なぜ順行のクルマなのに、順行の世界において、横転して壊れた状態から元に戻ることができるのか?
そもそも順行しているのだから、事故った時点で未来に向かって移動はできなくなるはずで、逆行する主人公が回転ドアを抜けた先に乗れるクルマもなかったはずではないか?

あるいは逆行した人が動かすものは同様に逆行するとして(なぜクルマのエントロピーまで減少するのかよく分からないが)、やはりクルマは順行の世界においていつから道路上に転がっていたことになるのか?
もし逆行した人が動かすものがみな逆行してしまうなら、そもそもアルゴリズムも不要なほど世界に多大な影響を与えそうな気も。(または逆行中にアルゴリズム起動すれば世界は滅びずに済む??)


目の前で直っていくクルマとか、燃えているのに凍っていくとか、見たことの無い描写を追求したことによって、肝心の逆行のルールに無理が生じてしまっているように思えた。


そもそもこの世界ではタイムマシンが開発されたわけではなく、あくまでも「逆行」なのに、回転ドアをどうやって過去に作ることができたのだろう?
設計図をもった人が逆行してきた?その人は逆行の先に回転ドアがないから、過去に向かって死んでいってしまったのだろうか?
あるいは逆行しながら回転ドアを作った?であれば順行の世界ではいつから回転ドアがそこにあったのだろうか?


まあそれこそパラドクスの世界、過去を変えていく行為なので、なんでもアリでもあるんだろうが。


(ところでもし逆行しながら順行のクルマを運転できるなら、アクセルを踏むほど燃料タンクは満たされていくんだろうか?永久機関どころではない大革命だな…)


繰り返し観たくなる類いの映画なんだろうけど、私にとっては、伏線を確かめるために、ではなく、粗探しをするために、だな。
とむ

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