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TENET テネットのmOjakoのネタバレレビュー・内容・結末

TENET テネット(2020年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

映画興行全体が厳しくなっている時勢ですが、そんななかで期待のクリストファー・ノーラン新作です。『メメント』や『インセプション』を連想するところもあり、楽しみにしておりました。

 内容は、噂に違わぬややこしさ。それは、"輪廻の蛇"的なタイムパラドックスが原因ではありますが、「考えないで、感じるのよ」というセリフが示す通り、作り手自身もパラドックスを整然と解き明かすことを放棄している感すらあるからですね。なので、いわゆるツッコミどころは多いですが、ある程度許容しながらワイワイ謎解きするのが楽しい映画かなと。

 主人公の名前は、なんと"名もなき男"。彼は、"時間の逆行"による第三次世界大戦を阻止するため、相棒ニールとともに調査を始めます。そこで鍵を握る武器商人セイターとその妻キャットに近づき、時間のルールから逸脱しながら世界を救うため奔走します。

 あらすじを書いても何が何やらなので、ひとつずつ整理してみますね。

 まず、ちゃんと観ていても主人公たちが何と戦っているのかすら混乱しますよね。今回の直接的な"敵"は、ケネス・ブラナー演じる武器商人セイターになりますが、それとは別に、未来から時間を逆行させる仕組みを持ち込み、世界の滅亡を企む黒幕の存在がいる訳です。この黒幕の正体は、セリフによって少し明かされていますが、環境破壊や気候変動などの進行に対処しきれなくなった未来のロシア人です。彼らは、環境破壊を進めた我々現代人を一掃して世界をリセットするために、時間の逆行というテクノロジーを現在に持ち込んだらしいことがわかります。セイターはロシア系という設定なので、未来のロシア人の傀儡として世界の破滅を企てているようです。

 次に、主人公たちが存在する時間軸について。まずオープニングのオペラハウスのテロからセイターにキャットが撃たれるところまでは時間は"順行"し、そこから回転扉を通るのを中間点にして同じ時間軸を"逆行"していきます(順行逆行入り乱れる飛行場のシーンは本作の白眉!)。そして、クライマックスで"順行"と"逆行"が世界の破滅(セイターの自殺)という一点に向かって集約していくというのが基本的な本作の構成です。ここだけ追うと意外とシンプルな作りなのですよね。

 ただ、時間軸をややこしくしているのにはもう1つ要因があって、それはニールが”名もなき男"に命じられて動いている未来のエージェントであることです。ニールは、どの時点から来て、何を目的にしている男なのか、途中まで曖昧で不明瞭なんですよね。なので認識すべき前提としては、"名もなき男"には何も知らない現在の視点とは別に、過去で起きようとしている世界の破滅をジョン・コナー的に阻止しようとしている未来の視点があります。そのために、現在に使わされたのがニールなのです。

 しかしクライマックスでは、未来のニールが世界の破滅を阻止するために身を呈し、命を落としたことが示唆されています。つまり、ニールは自らの人生の終着点に飛び込むために、自分の意思で時間を逆行したことになってしまいます。
 おそらくは"名もなき男"も、そしてニール自身も、ニールが命を落とすとわかっていて未来から現在への逆行を試みています。それは何故か? そうでなければ世界を救うことができないからです。

 ここが本作のポイントだと思っていて、おそらくノーランは本作を作る際に、映画「メッセージ」とその原作の「あなたの人生の物語」に強く影響を受けているんじゃないでしょうか。

 そもそも"時間が逆行すること"の何がややこしいかというと、原因があって結果に現れるのではなく、結果が先にあって原因がそれをなぞっていくからですよね。拳を出したから殴れた、のではなく、殴ったから拳が出されるのです。つまり、時間を逆行しているアクションには、行動する主体の自由意志がありません。未来の"名もなき男"には、キャッツが助かることも、世界が滅亡しないことも、映画で描かれている全ての結果がわかっています。その結果を導くために、死ぬとわかっているニールを派遣し、必要な行動を促しているだけとも言えるのです。

 遥か先の未来から見渡せば、過去にした行動の結果はすべてわかります。この視点から人間の自由意志について考察したSF小説が、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」です。この小説に出てくる宇宙人には、過去・現在・未来の概念がなく、過去も未来もフラットな事象として認識しています。それゆえに、未知の未来への不安や痛みを感じることなく、起こるべき事実を現実たらしめるべく、ただ考えずに行動すれば良いのです。主人公の言語学者は、宇宙人の言語を学んだことで彼らの能力を身につけます。未来を予期した主人公は、近い将来に最愛の娘を亡くすビジョンを見ますが、それでも、娘を失うであろう未来を主体的に選択します。それは、娘を愛したという幸福な事実を現実にするためです。娘が死ぬという結果が先にあり、娘を産むという原因はそれをなぞるんです。
 原作では、この娘の名前は"HANNAH"と書かれています。回文によって言語学者が身につけた時間感覚を読者と共有するためです。"TENET"も同じく回文になっています。文字でSF的な時間感覚を表現するというアイデアの源は、ここにあるのではないでしょうか。そして、"TENET"でも「あなたの人生の物語」同様に、ニールに結果が先に見えている選択をさせることによって、逆説的に人間の高潔さや自由意志の価値を表現しているように思います。

 それから、もう1つ。ノーラン作品で重要なモチーフは、"妄執"に囚われた人物です。『メメント』も『インセプション』もすべて、失った愛する人への妄執の話です。今作の男性主人公2人は、内面的に掘り下げられるキャラクターというよりは、ジェームズ・ボンド的なシンボリックな存在として描かれています。むしろ、妄執に取り憑かれているのは、セイターとキャットの夫婦です。
 この物語の起点は、オペラハウスのテロではありません。クライマックスで描かれる、セイターとキャットの関係が決定的に壊れる船の上での出来事がすべての始まりです。だから、ドラマ的に興味深いのはこの2人の方で、セイターに束縛されているキャットが、ひとりの人間として解放されることが本作の決着となっています。

 飛行機を突っ込ませる必要ある?とか、回転ドアが一番危険なテクノロジーじゃね?とか、色々と思うところはあるんですが、そんなことを含めてあーだこーだ考えるのが非常に楽しかったです。とにかく1つ言えるのは、絶対に見たことのない種類の映像体験ができる作品で、これは映画館で体感しなければ意味がありません。ノーラン作品でも上位に来るくらい、体験として新鮮で嬉しい映画でした。
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