せいか

魔女見習いをさがしてのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

魔女見習いをさがして(2020年製作の映画)
1.5

このレビューはネタバレを含みます

12.25、TVで放送されていたものを視聴。たぶんノーカットのはず。
ちなみに私は初代からのリアタイ世代でしてよ。去る年月の早さよ。

本作が視聴者に語りかけようとしているもの、寄り添おうとしていることには好感が持てたが、割とずっと引っかかるところはあるまま展開する。

おジャ魔女リアタイ世代~のちにDVDで作品を追っていた、今は大人になった三人の女性たちが主役。年齢もグラデーションを描きながら最大10近い歳の差がある(確か19歳フリーター~大学生~アラサー)し、立場もかなり違いがある。住む場所も、九州、名古屋、東京とばらつきがある。
三人はMAHO堂のモデルになったという空き屋敷を訪れて偶然出会い、その日のうちに『おジャ魔女どれみ』を通して意気投合して交流が始まる。そして主にいわゆる聖地巡礼を一緒にするようになってその中で各々が抱えている悩みを昇華させて、『おジャ魔女どれみ』を通して現状の自分から前進していくというストーリー。

有名企業に入っても周囲の環境はドライで仕事がうまくいかない、過去に縛られて夢があるのに駄目な生活を送っている、自分が目指すものに自信が持てないという、大人としての社会との軋轢が最初から最後まで貫かれており、コミカルに展開しつつ前向きに着地点を見つけていく。

こういう形で、当時『おジャ魔女どれみ』を観ていたあなたたちへと語りかけてくるとは思わなかったので、そこは面白いなあと思った。
あくまでどれみちゃんなどのシリーズのキャラクターたちは本作ではずっと(ラストを除き)バックヤードで共通認識されているものとしてしか存在せず、前面に立つのはかつての、今はもう大人になった視聴者たちなのである。
もう子供の頃のようには生きられない現実にあって、それでもそれってそういうふうに生きられない現実のほうがおかしいだけで、いつだってあの作品にあったような、あの作品に思いをかけてたあの頃のような世界にすることもできるんだよという、おジャ魔女シリーズにも込められていた優しい魅力が詰まっていた作品だと思う。
ラスト、三人の女性たちが、子供の頃の自分たちがどれみちゃんたちとともに箒に乗って空を飛ぶ姿を幻視するところとかは、いつだって『おジャ魔女どれみ』は視聴者たちに寄り添い続けてくれるというのが現れていて、良いとも思う。夢中になった(なっている)ヒーローやヒロインだとか物語だとかが幾つになっても心のより所として確固として存在してくれているんだというのはあらゆる作品などでも触れられきたものだと思うけれど、何度言われてもぐっとくるものだし、それを本作のような形で表現した点はやはりおもしろいと思う。

ただ、いささか鼻につくというか、無理矢理というか、そういう感じはややした。そういう引っかかりは最後まで蓄積されつづけていったので、いささか評価に困るところがある。

本作とにかく旅行(と飲食)を重ねてるのだけども(そしてそうでなければもろもろのドラマが発生できないのだけれども)、最年長の一流企業勤めはともかく、他二人の金銭的遣り繰りは地味に気になるところでもある(特に九州のいかにもカツカツそうなフリーター女性)。それとも世人はどんな立場でもあんなホイホイ旅行したりなかなかの散財飯するのが一般的なんですか。

小さいときに両親が離婚して母方に付くことになるも父親に執着し続けたひと(=フリーターさん)とか、離婚後の父親が母子に対してどうしてたのかとかも諸々やや気になる。
ただ、父親が描いた絵に執着して、いつしかその絵が年月と共に色褪せてる気がしていたけれど、もとからそういう色だったのかもしれないのにみたいなことを語っているくだりは好き。

九州にこのまま留まってたら駄目だって言って東京に連れて行くのとかも、言いたいことはもちろん分かって言うのだが、いささか、結局、地方よりも東京なのよねっていう気がしないでもない。

先生志望の大学生の子が実習先の小学校の一般のクラスで当たった発達障害の子に結局最後まで踏み込んでいたのもやや気になる。何も教師になる以外にもこういう道もあるんだと視野を広げるのはいいなと思うのだけど、広げたところで悪い意味で一人の子に付き添いすぎな気がするし、大学生の実習という段階で反省の置き方がややずれている気もするし。
あとこの人に関しては、たまたま旅行先で知り合った、やはりおジャ魔女ファンの男性との色恋話の展開もあるのだけども、このへんはおれはそのスピードにふりおとされていた(ふられてましたが)。色恋沙汰に関してはOLさんにもあったけれど、あっちはちゃんとお互いの付き合いに時間かけて丁寧に発展していたので、あっちのほうは振り落とされなかったが。

本作、ひも男、威圧的上司、問題あり旅先の爽やか男と、それぞれとのやり取りが、なんかこう、形容しがたい感じだったと思う。大人になるとこういう世界があるよ、蹴散らしてしまいなさいというか、何だろう、フェミニズム的な描写というか。
それら以外もだけど、大人の女を取り巻くもの、そしてそこから脱することを描くとなるとそういうふうになるのかなと思った。そして作品では誇張されてても現実と地続きのものを描いてはいるとも思うけれど、いざそういう視点で観ても至極中途半端と言わざるを得ないだろうし。

現状打破に関して特にOLさんの振る舞いとかなかなかムチャクチャだったと思うのだけれども。魅力的な女性だとは思うけど。端から見てるだけで上司の態度と重ねてフリーターさんにくっつくひも男を見様見真似で投げ飛ばしたり、礼儀投げ捨ててお茶汲みもどきのことをして辞表叩きつけたり。そういう強さがこの人の魅力なのだろうけど、なんかモヤモヤするところはある。

本作、他人が役割を押し付けてくるとか、他人が形作る「私」とか、私が固執する私というのも彼女たちの枷として機能しているのだけれど、この辺も観ててその調理の仕方にすっきりしないところがある。
OLさんがフェアトレードのものを扱っていたのでそういうのもちらっと出てたけど、フェアトレードというものを本作で出してきたのも、搾取構造の否定と追いやられている人々、後進にある人々を健やかに前進させる、そしてそういった社会の実現とかそういうものを取り入れたかったからだと思うのだけれど、このへんの調理具合も微妙で、いたずらにフェアトレードって言葉が作中で踊ってるだけなような。

最終的に三人とも大団円状態でエンディングに向かうのだけれど、ただの一般人女性である彼女たちを丁寧に描いているようで結局オハナシに流している粗があったというか、モヤモヤする作品だったなあと思う。
言いたいこと、やりたいことはすごくいいなあと思うし、そこだけ観ればいい作品だなあとは思えるのだけれども。何なんだろな。
せいか

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