演劇の稽古ってこんな感じでやるのか。
もともとの戯曲がゴドーを待ちながら暇つぶしをする2人の意味のない会話だけど、あれをあんなに繰り返し繰り返し稽古したら意味分かんなくなるだろうなって見てた。
柄本明が「分からないが分かるようになった」「悲しいほどに面白い」とか終始アンビバレントな発言、演出指示が多くても、余計訳分からなくなるけど、歌舞伎の例えが出た時に何となく腑に落ちた。
幼い頃から繰り返し訓練をして、長い年月をかけてだんだん体にフィットしていく。ただ、体に染みついた頃には舞台に立つのが困難な体になっているということをこの舞台でやりたいのかな。
もともと柄本兄弟が時間をかけて2人で向き合っていく作品と言っていたから、ひたすらに繰り返して行き、意味を超えた先に本当の意味が待っているのかなと思ったり。
稽古の合間に伺える柄本兄弟の関係性がキュンとした。
柄本時生が柄本佑のこと「にいちゃん、にいちゃん」って呼んでるのが、当たり前ながらめっちゃ萌えた。
それを軽くあしらう柄本佑にもキュン。
再演するときがあったら、是非舞台を見てみたいとおもった。