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『αとβのフーガ/変態病棟 SM診療室』に投稿された感想・評価

菩薩

菩薩の感想・評価

3.0
視覚的には楽しめたが陵辱モノが対して好みでは無いので基本的な部分が退屈だった。ソリッドでダークでマッドネスで…カネコアツシとか好きそう。
☑️『変態病棟 SM診療室』(3.9p)及び『すけべ妻⋅夫の留守に』(3.9p)『いやらしい人妻 濡れる』(4.4p)▶️▶️
2月下旬に、1990年代ピンク四天王として、一世を風靡とまではゆかなかったが、黒沢⋅青山⋅周防といったスマートな一般映画のスター監督と、充分、気合いでは張り合ってた?作家らの一挙上映がNFAJでかなりの客を集めて成され、同時期のK´sシネマの同種の催しと相まって結構なインパクトがあったようだ。FAでの寿保作品については、K´s~での同じく20世紀待つ以来の再見の二本と併せて別頁を立てて、かなり気負って書いてたが、書き上げた瞬間に下書きをうっかり全て消去してしまった。度々あるので、またか⋅もういいかなとも思ったが、他の3人の映画の申し子的な在り方と違い、本人は映画を愛し映画そのものを目指してるに係わらず、継子的に思える味をやはり捨て置いたままにはできない。映画的な段取り⋅手順⋅手続き⋅風格⋅正統お墨付き無しに、目指す現実以上の何かを産み出してしまう。洋画でいうと、スコセッシやファスビンダーに近いか(決してスピルバーグやヴェンダース⋅イーストウッドではなく)。H=G⋅ルイスやクローネンバーグ程の(反)パースペクティブやカタルシスとも無縁。やはりこの特異な魅力を、1ヶ月近くに渡り、ボチボチ書き貯めた文章を思い起こし再現したい。寿保さん自身も映画監督⋅文化人らしくなく、出たがりなのに、舞台挨拶に立つと、町内の親父みたいに吃り上ずり上手く言葉を操れない人みたいだ(。おずおずと始まるも、映画と自己を微塵も恥じる事なく、時代や社会に対し当たり前に、論壇無視の正統を誇るに至る清美さんの凄み⋅腰の据え方と対照的)。
変態性欲⋅暴力⋅血糊らが折からのスプラッター⋅ブームと偶然相まってしまった初期から、メディア⋅最新システム(人体波及)やによる人間性の抑圧⋅変形⋅新生を加えるようになり、悲劇⋅不条理の強めが様式やユーモアにも化してきた、ピンク時代の約10年間の軌跡。見掛けと違い、常に人間自体の熱さと冷たさの、生理⋅心理を越えた、距離と逸脱の確認⋅探りを行ってきた気がする。
この『変態病棟~』も、映画的な広大L⋅斜の柔らかいデクパージュ⋅雄大カメラワークの映画ならではの醍醐味はない。狭い都市の中で機械的切り取り、俯瞰やCUも含め多アングル⋅多サイズも、トゥショットや対応はあっても組立ての妙はない。軽いズームや寄る⋅パン⋅廻るめに移動性も留まる。登場俳優2人だけ(役は3人?)、限られた狭く隣接した数室だけ、ひたすら出自⋅性向⋅残虐性⋅血の問題だけに絞り込んでゆき、ユーモアもゆとりもなく、不気味な音響⋅視覚と共に、只直進してゆく、極限好みの、わりと初期の作。エロチシズムや演技を越えた体技⋅限界維持は、見せる事や痛々しさの体感も越えて、個と関係を操り⋅掘り下げてゆく、その力に圧倒される。鏡⋅(窓)ガラス⋅(パソコン)モニター(画面)⋅大型万華鏡⋅透明ビニール⋅浴槽と水⋅吊り拘束具⋅ナイフや突起金具⋅闇にライト⋅ブロック壁⋅欠損へ果物⋅舐められる眼球といった、装置⋅小道具の研ぎ澄まし純化、黒⋅白⋅グレー⋅ブルー⋅赤⋅サンドストームが締める。2人⋅或いはもう1人の自分を再生映像やガラス反射面で見たりも含め、、隔て⋅対峙させ、時制が違うのか⋅或いは近くでライブ映像を見てるのか2つの場が交錯する時も。そして、妻の失踪後一週間で訪ねくる妻ソックリの女が、彼女の言う通りシャム双生児だった妹なのか、或いはまるで性格がポジティブで正反対に、へと妻の接近演技なのか。性交⋅妊娠は、幼児の身体を切り離したメスと傷痕の痛みの快感を我が子らに再現させ、確認したい為か、曲がりなりにも夫婦愛の獲得の証拠なのか。
ビデオ映像や鏡⋅特殊波の音楽らの装置⋅密閉空間で、患者に自己と向き合わせ、深層心理に当たってゆく独自療法を推し進める心理カウンセラー。妻に対しても、求められる夫婦愛を外し、対患者としてと⋅自己のサディズムを推し進め、マゾヒストに貶めて、肉体⋅精神を歪めてくを進めるだけ。妻が姿を消して一週間、ソックリも極めて能動的にプレイか療法に入ってくる、女が訪ねくる。妻と一卵性双生児の妹(除籍⋅養子へ)で、しかもシャム双生児としての身体を切り離さた執刀医を、探し辿り着いたと言う。その時の激痛と恍惚を求めてて。しかし、その記憶はなく、切り離した傷痕も認められない。サディズム→性交で、直後望みの妊娠を得たと言い放つ女。
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それから10年は経たずも、ピンク映画量産期でのキャリアの終盤の『夫の留守~』。これはDCP化、『変態病棟~』は16ミリ版だが、ベースのネガ状態や修復技術のせいか、20数年前に場末の映画館で観たときより、共にハッキリ鮮やかで力強い画質。これは、救いのない残虐と無縁の、分厚く重いユーモアとハチャメチャ作に見えて秘めた知性が凄い、赤塚テイストか。夢野⋅五代と並ぶ、この作家を支える第三(二かみたいな)脚本家による。しかし、華やかなDCP版でみると、ピンク予算等消えたような、衣装⋅美術⋅照明の、ハイソどころかお伽噺にも見える、原色の染め⋅複数せめぎあいの現出に圧倒される。しかし、あくまで印象は、近親相姦⋅嫁姑対決⋅暴力や刃物や殺人⋅異国へやあの世らが出ても、コメディで明るい。カット割りも、アップ⋅切返し⋅トゥショット⋅俯瞰め⋅小道具押さえ、丁寧でアップテンポ⋅人工的だ、音楽と併せて。揺れ動くフィット感や、『めまい』的対象らを回ってくカメラワークも背伸びはしてない。取り分けニ焦点レンズ的な忍んで垣間見る縦の図の何処かこの世をズレたまろみのカットが面白い。
様々な家族⋅組合せが、新たに組み換えが起こり、可能性⋅新世界へ放たれてゆく。対岸の都市の見える孤島で優しく宝物扱いしてくれてる(でも性的関係も)父から逃げ、父の言う「くだらない」世界へ泳ぎ着き、嫁イビりのハイソ家庭も裏では、政治家相手のどす黒い変態クラブや⋅遊びとしての売春をしてる姑と嫁の各々に、同じホテルで逢う。2人の対決を引き起こし、相方⋅勝利者の嫁と、姑から奪った大金で、上陸時最初に知り合った浮浪者らも載せ、幻の巨花を目指し旅たつ。娘を追ってきて娘の父は、ハイソ家庭で女らを「売女」とクールに見抜いてる夫が、その縺れで記憶喪失⋅おカマ化したのを、娘として連れ戻してく。
絶望的中身ながら、乾いてて妙に明るく逞しく、突き抜けてる。円熟⋅張りが心地よく、チェンソー⋅日本刀⋅二刀流包丁らが飛び出し、大金より大事なVテープとは? 家庭より金より大事な大義?や遊びの姑と嫁、らの心の内は、とオチないままの進行、と独自で快適。どこまでこの作家は歩みを進めて行くのだろうと想わせた。思うに、この作家が、その後一般映画やOVにシフトして、質はともかく、旋風の巻き上がり方がダウンしたように見えたは、ピンク期とその変転を都度支えた、あまりに個性的でどんな融通も可能な、伊藤清美という稀代のエネルギーと対応力の塊りを、その後のよりオープンな舞台では使わせてもらえなかった?せいかも、の気もする(伊藤自身は、変わらず他の監督作に多くで続けてたが)。
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2作の中間、シャープさが極まり、観客を素通りしたように見えながら、意識する間もなく実は観る側の、感性や痛覚に気付かれず貼り付き続けてる、最鋭期。大向うを張るのが浮き上がり浮わついても見えるが、内実はレベルに気がまわりづらくも、しっかりそれらのベースにこっちが完全に囚われてる。まさに作家やピンクを超えた、頂点的作品群。その中でも突出が、『(生)盗聴~』とこの『~濡れる』か。
実際、人との距離を思い知り、計り直す自らの要請で、都市に流れ着いた男が、若者のドラッグに変わる血液交換嵌まり、治験薬に中毒化した医師夫妻、その狂気の殺害対象が半ば無意識に薬害エイズ撒き散らしの者ら、これら相互の観察姿勢と一歩無意識突き進み、同時にエクスタシーや深い愛への手探り、それらは不思議な死を跨ぐ再生⋅入替わりに至る、という内容は、手応えを拒み、それ自体が独自に生き抜いていってる。アレヨアレヨと思ううち、こちらの裏が探られてもいるいろんなレベルで相関的な世界、しかも世界云々ではなく、創作に入る前のストレート⋅シャープそのもの段階の、試作にしかなり得ない⋅それ以上進めない試み。同時に踏み留まる何かは、熟達の余裕すら踏み越えて、気付くと足場を放棄している。「(故郷で教師から地方局TVに関与、出演者の)歳離れた相手への失恋から(都市へと)漂流者に。人というものを知りたい熱からのこれぞというのへ)未確認尾行物体⋅観察者に」との主人公他の基本スタンスとか、「現代の(人間の血を抜き取る)吸血鬼(の事件頻発)」「ステロイド系試薬の夫皮膚科医師から、妻内科医師への投与⋅治験。危険領域に入って止めたいを、環境動く不安と自分の医療行為への緊張⋅対策から受け入れぬ妻。無力な夫は、(性交渉あっても)愛情(の現しを)失い⋅夫婦とは言えず、妻を見守る事しか出来ない、立ち入れないを、代わって観察を」という医学と個人モラルの問題とか、「灯りを点けないで。影というものを消さないで。その闇で、私は貴方が(深く)愛した若い女になる」「(交わっても)、君は決して不安定にならない。それは本当に愛して(震え安定失い⋅凶行へ走)るは、君の夫に対してだけだからでは」「(狂っての致死量まで他人の)血を抜き取ったは、私とは限らない。同じ医師の夫かもしれない。どちらにしても、薬害エイズ野放しに認可し流通させた者らへの、被害者の復讐(のたまたま代行)の形。貴方は私を見詰め⋅追うことで、私を生き返らし輝かせた。貴方の血を抜く。(私も、夫がエイズ感染の貴方が苦しみ時に死へ解放する為に与えたジキタリスを、間違えず選択⋅、共にあの世で)今度は私が貴方を追い⋅輝かす」「あの世まで跳んでける赤い麻薬を」とかの無意識レベルの愛の希求とか、「この場所は我々の場所。売春で稼ぎ、セックスよりクスリよりも、圧倒的なエクスタシー、近しい2人の確認、互いの血を(注射針で)与え合う、ブラッド⋅ストームに浸る。エイズの危険⋅生死より、スピードが全て」とかいう更に中継する、また繰返し雛形の若い2人とか、如何にも軽薄な羅列で、言葉の使い方もあやふやで時事的話題のもの乗っかりも、の内容。それは、分析的というより⋅事象より、危険な感覚の、歯止めなく⋅彼方へ届く、滑りと勢いの究極美。論理ではなく、流し滑らせきった、軌跡、その観る我々への、受動⋅能動の契機を与える、くっつく感の、事実提示でなくあくまで感覚分け与え。そこに留まるが、逆に無限の手応え⋅その感触を与える。
タッチも構築力はあまり感じさせず、駆け抜ける。何も構造やベースを与えずに、形を拒否の、スマート⋅シャープに見えて、たまたまに見せる⋅作者の自己の無心の感覚への従いが、深い何かを意識せず与えくる。不安⋅不気味でデリケート⋅リリカル⋅リズミカルな音響被せと「散る散る満ちる、満ちる散る。桜散らねば日本散る」の被せ言い回し。揺れ動く駅内の連絡橋の主観移動や、追う縦の図の揺れ動き、カメラの傾きへも。フィルターや光線色の赤⋅緑染めあっても、それ以上に飾りなくもストレートに、荒廃を形象化⋅壮大化するルック。トゥショット長めやシャープアップの切返し、窓内外の異世界化をきっしり表すズームや構図の狭め拡げ方。顔にかかったサングラス横から浮き上がらせや液飛ぶ注射器の、CU抜き取り。新宿東口の広角⋅速回しや、ズーム絡み街角⋅大きめ建物立ちつくし、らの見慣れた光景の異次元化。ニュース映像や粗いモノクロ写真重ねの説明手法。もっともらしい役⋅みてくれで浮きがちキャラを、それ以上のこなれで引き寄せる俳優ら。それは衣装⋅キャラや、現実⋅幽玄を入れ換えさせるラストを浮かせない。
『(生)盗聴~』が、システムと現実に、神経と肉体が磨耗しきり、異物転化という、ハードな作品だったのに対し、これはそれらをスルリスルリと抜け出てるにみえて、譲らぬ感性⋅感覚が距離を保ち⋅抜け出させ⋅活かし抜いてく。一見身軽さがシャープな未知の力を持ち得た作かもわからない作。何気に、それ故の、愛の真の刹那の在りかを失わない感覚も、身近に見つけあっていける姿勢も、目に留められ⋅教えられもす。

M

Mの感想・評価

3.6
万華鏡演出とかよく考えるなぁ〜と思う。浴槽の上での吊り場面での女優さんが良いね。SM陵辱て感じで水責め、顔面拘束式口枷責め、吊り(危なっかしい)は中々きつい。

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