ずどこんちょ

ひとよのずどこんちょのレビュー・感想・評価

ひとよ(2019年製作の映画)
4.3
「もう誰もあんたたちを殴ったりしない。これからは好きなように暮らせる。自由に生きていける。なんにだってなれる。」

子供達に暴力を振るう夫を殺した夜、母はそう信じていました。
しかし、母が信じていた自由と、残された子供たちのその先にあった暮らしは決して一致しない苦悩もあったのです。

とても良かったです。幾度となく心が掴まれるシーンがありました。
端的に言うならば、これは長い長い家族会議なのです。
あの日から人生が変わった子供たち。15年の月日が経ち、殺人犯になった母親は約束通り彼らの前に帰ってきました。
しかし、彼らは手放しでは喜べません。もちろん母親のことは愛しています。あんなに荒んだ態度を取る次男も、やっぱり母親を切り捨てられないから東京から戻ってきたのです。会いに来たのは取材だけのためじゃなかったと思います。
けれども、それぞれがあれ以来苦悩し、問題を抱えて生きてきました。

そして、母親が殺人犯になったことであれからしばらく、世間から加害者非難の的になって嫌がらせや誹謗中傷を受けてきたのです。いまだに続いています。彼らはまともに母親の事件の意味について語り合うことができませんでした。そんな時間もなく、忙しなく時が過ぎていたのです。
事件のことを消化できない家族が、15年の時を経て事件のこと、母親のあの夜の決意を考える家族会議。
事件に決着を付けるための短くて長い日々の物語なのです。

まずは、この三兄妹を含め、キャスティングがとにかく最高!
責任感だけで家族を繋ぎ止めようとする吃音を持つ長男・大樹、事件以降の荒んだ生活で母を恨み家族すらもネタにして食い扶持にしようとする次男・雄二、酒に溺れても家族と幸せになることを願っている末っ子の長女・園子。
鈴木亮平、佐藤健、松岡茉優がそれぞれ昔から繋がりのある本物の三兄妹のように演じています。なんか15年前に壮絶な体験を経て、兄妹だけで乗り切ってきた信頼関係みたいな絆を感じさせるんですよね。
3人が笑い合っているシーンなんてほとんどないんですけど、喫煙所でタバコを吸って談笑してるシーンがちょっとだけあって、やっぱり兄妹なんだなぁと感じさせます。

母親・こはるを演じた田中裕子さんももちろん素晴らしいです。
罪を犯した責任と罪悪感は抱えつつも、自分が選択した行動は決して間違っていなかったという信念を貫いています。
それは彼女がブレたら、偽善によって子供たちに苦しみを与えたことになってしまうから。それこそ本物の「殺人犯の子供たち」になってしまいます。
彼女は暴力男の罪を憎み、あくまで正義の鉄槌を下したに過ぎないのです。だから彼女は「ただいま」とは言いますが、決して彼らに謝罪しに帰ってきたわけではありません。土下座して申し訳なかったとは言わないのです。約束を果たすために帰ってきたのだから。

子供たちに壮絶な暴力を振るう夫を殺そうと彼女の背中を押したのは、決して「度胸」ではありませんでした。思い切れた人が人を殺し、思いきれなかった人が人を殺さないわけではありません。
彼女を突き動かしたものは何だったのか。事件後、こはるは子供たちに言います。
「お母さん今すっごく誇らしいんだ」
その言葉を見ると、こはるは夫を殺すことで何かを得たのだと思います。あるいは、何かを得たと信じたかったのでしょう。

彼女が手に入れたかったのは、きっと何者にも縛られない暮らし。そして、子供たちの「夢」です。
小説家になりたい夢、美容師になりたい夢、幸せな家庭を築く夢。父親は夢を語る子供たちのことですら、殴り飛ばしていました。
こはるは母親として、彼らの未来を救いたかったのでしょう。夢を諦めさせたくなかったのでしょう。

だから長男・大樹の夫婦関係が壊れそうなところをこはるが仲裁します。
長男夫婦はコミュニケーションの行き違いから、妻が大樹に離婚届を突きつけていました。そればかりか大樹は感情が昂って以前、暴力を振るってしまったことがあったようです。吃音持ちの大樹には感情的になった時ほど言葉を発するまでに時間がかかります。だからと言って、手を挙げたことは言い逃れできない事実です。
父親から壮絶な暴力を受けていた大樹が手を挙げたこと。それは周囲の人々を驚かせたばかりか、やはり大樹自身が自分のことを憎み、蔑んだのではないかと思います。許されないことであるばかりか、あまりにも辛い出来事です。
妻を演じていたMEGUMIも良い演技をしていました。
タクシーの無線を使って自分たちの本音を伝え合うのもドラマっぽくて素敵です。

次男が小説家になれずとも雑誌の記者になって物書きを生業としていたことが、彼女にとってどれほど幸せだったことか。
まさか自分の事件をネタにしてるとは思ってもいなかったでしょうが、ある意味、雄二も母親のおかげで夢を叶えた一人なのです。
雄二が母親のことをネタにして企画を上げたのは、それまでの間、残された兄妹との間で母親の事件のことを語る家族会議がなかったからだと感じます。
その後に続いた壮絶な加害者バッシングから逃れるように、彼は一人で東京へ出ました。きっとそこには残していく兄や妹に対する申し訳なさもあったはずです。
そこで彼は彼なりに、家族の人生を変えた母親の事件は何だったのか、そして母親の背中を後押しした考えは何だったのかを探りたかったのだと思います。決して加害者バッシングの一人に堕ちたわけではありません。
だからこそ、あの夜も、そしてタクシー運転手・堂下が暴走した夜も、誰よりも率先して母親の乗ったタクシーを追いかけました。その行動力は、母親を責めたいのではなく、守りたいのだと感じさせます。

園子の存在は、家族を繋ぎ止める役割を果たしています。
責任感のある大樹は自分で全てを背負おうとしてしまう傾向があります。だからこそ園子は大樹に理解を示し、雄二のことも母親のことも一番に迎え入れます。
雄二が記事を書いていたことを知った時は争いましたが、彼女がいつも求めているのは途切れない愛です。それはなかなか手に入るものではありません。日々、酒に溺れている内面では寂しさや悔しさが混ざり合っているのだと感じます。
眠れない夜、こはると同じ床に就きます。こはるが帰ってきて一番嬉しそうだったのは、やはり園子だったのです。

「夢」といえば、稲丸タクシーを現在継いでいる甥っ子の丸井進も、本当は漁師になりたかった男です。
彼女の事件がきっかけで人生が変わり、タクシー会社の経営者になりました。今でも辛いことがあると、漁師になりたかったと拗ねるのがいつもの癖です。それでも今日も元気に前向きにタクシーのことばかり考えています。健気な男です。
彼もまた、「夢」に踊らされた一人なのです。

こはるが帰ってくるまでの15年間、そして帰ってきてからしばらくの間は、子供たちも戸惑っていました。母親の考えが読めなかったから。覚悟を持ってやったことを子供達は理解できません。
それが、堂下の苦悩とも共鳴していくのです。
佐々木蔵之介演じる堂下は、このタクシー会社に入社した新人ドライバーです。お酒もギャンブルもやらない極めて真面目なドライバー。ですが、チンピラ風情の男と知り合いであったり、何やら隠し事があるようです。
そんな堂下の喜びは、別れた妻との間にいる息子と過ごす時間でした。それは何年も会えなかった時間の溝を埋めるような、かけがえのない楽しい夜でした。
ところが、そんな堂下の親心とは裏腹に、子供は転落していってしまうのです。

堂下が雄二に息子の姿を重ね合わせ、雄二が堂下に父親の姿を重ね合わせてぶつかり合うシーンが、とても切なかったです。
どちらも悪人ではありません。でも、親子の気持ちがすれ違い、どうにもできない不満や苦悩を抱えて生きているのです。
このぶつかり合うシーンの佐藤健の飛び蹴りがもう最高!!!
思わず笑ってしまう思い切りの良さでした。

誰しも皆、特別な一夜があるけれども、それは誰にも分かってもらえません。
他の無関係な人にとってはそれはただの一夜に過ぎない。だけど、自分たちにとって特別な夜なのだったら、それでいいのです。
「ひとよ(一夜)」に込められたメッセージが胸に響きました。

あと、このポスターも良いんですよね。
家族なのに立ち位置は一直線にも並んでいなくてバラバラで、次男は他の家族より少し離れていて、皆どこか疲れて荒んだ気持ちが見える表情。
それでも皆、同じ方向を向いています。
彼らはバラバラのように見えて、これから先に見ている方向は同じであることも感じられます。
この家族の「夢」が叶う未来は、ここから始まるのだと感じました。