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デッド・ドント・ダイのmOjakoのネタバレレビュー・内容・結末

デッド・ドント・ダイ(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます


正統なゾンビ映画でありつつ、反則技的な掟破りも犯すジム・ジャームッシュ新作。

 舞台はアメリカの田舎町センターヴィル。警察署で働くアダム・ドライバーとビル・マーレイは、町で起きる益体もないトラブルを解決して回る毎日。しかし、ある日ダイナーで残忍な殺人が起きて、町はゾンビによるパニックに見舞われます。

 ゾンビは欲望のままに人を喰らう。消費社会の縮図としてロメロはゾンビを発明しましたが、今回ジム・ジャームッシュはその構造に捻りを加えずロメロゾンビに対する愛着そのままに描きます(Wi-Fiゾンビ、Bluetoothゾンビはいいですね)
 町の住民は普通の人ばかり。ダイナーに通うアフリカ系のおじさん、ガススタンドに引きこもるオタク青年、都会からやってきたイケてる若者、皮肉を垂れる白人至上主義者。多少の誇張はあれどみんな我々の近くにいるありふれた人たちです。
 普通じゃないのは2人だけ。社会からドロップアウトし山に篭る世捨て人ボブと仏教の真髄を極めて日本刀を振り回す葬儀屋ゼルダ。彼らに共通するのは世俗から隔絶した精神の高みにいること。ボブは最後まで町の騒動を外側から笑って眺める傍観者だし、救い主かと思われたゼルダは宇宙船に乗って1人高みへ消えてしまいます。
 彼ら以外の町の人間は次々と犠牲になっていく。まるで欲深い物質社会を享受して生きたしっぺ返しをくらうように。最後まで生き残るアダム・ドライバーは何度も同じ曲を聴いています。スタージル・シンプソンの「デットドントダイ」。感情の読めない彼が唯一楽しそうにする瞬間です。
 映画や音楽など表現を消費していくことは精神の高みへ通ずる行為でしょうか。誰かが突き詰めた哲学を味わうと、自分が少し進歩したような気になります。聖書だって誰かの表現だったりする訳で、より良い人間になる手段の一つではあるはずです。
 でも、最後には映画を見まくって知識を溜め込んでいたガススタンドの青年も、ゾンビに喰われてしまいました。アダム・ドライバーも末路は同じ。あらかじめ決められた通り、彼らに救いは用意されていません。作り手の作為に踊らされ、芸術を消費するゾンビに代わりはないからです。

 前作「パターソン」でアダム・ドライバーはバスの運転手として働きながら、詩を書きためている男を演じました。彼には純粋な表現への欲求はあっても、過剰に消費される人間になりたいなどというエゴはない。ジム・ジャームッシュが追い求めている理想の生き方はたぶんそこにあって、同時に今の社会に向けられたアイロニーでもあるのでしょう。
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