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わたしは光をにぎっているのmmntmrのレビュー・感想・評価

わたしは光をにぎっている(2019年製作の映画)
4.4
美しい構図や色味の表現が非常に巧い。

何度も、その作り込まれたショットの迫力に息を呑む。

脚本も素晴らしい。消えゆく人、消えゆく街、その切なさの中にひとり生きる内気な澪。彼女は東京の冷たさと暖かさに揉まれながら、次第に街へ溶け込んでゆく。

ショットも脚本もクオリティが高い。しかし、どちらについても、“何かが足りない感”が否めなかった。少し大袈裟に言うならば、映画に惹き込まれない。求心力がない。

その正体を探りながら鑑賞することとなった。そしてそれは、“絵の説得力の無さ”から来ているのかもしれないと思い至る。


まずひとつめに、人物の立つ位置、行動の裏付けが脆い。美しい絵を撮るという目的の為に、そうさせられているかのような違和感。

人は普通、物思いに耽るなり誰かと会話する場面などでは、美しい景色の“見える場所”に立つ(一概には言えないが)。そしてそこは、ある程度生活の圏内にあるはずだ。しかし本作では、美しい景色の“一部”に立たされ、尚且つ生活の圏内から百歩近く離れている場面さえある。

わかりやすい例をひとつ挙げる。
冒頭、澪はお祖母さんとふたりで、湖に浮かぶ船着場の先端に立っている。そこは、実家の側にある湖ではあるものの、湖岸からは数十メートル離れている場所に位置している。船を待つでもなく、釣りをするでもなく、ただそこで話をする為だけに、果たしてそのような場所に立つだろうか。
より自然な場所を挙げるとするなら、それはカメラのある湖岸の位置だろう。

他にも、その船着場を(謎に)走るシーンを上空からドローンで撮ったり、湖に服を着たまま半身浸かりに行ったり、作為を想起してしまうシーンがいくつかあった。

美しいショットを収めるのは大いに結構だが、写されている人物の行動を映画の為に制御してはならないと思う。

違和感はもうひとつある。それは、景色を人間に迎合させているかのような恣意性を感じたという点だ。

言ってしまえば、「プロモーションビデオ」のような撮り方だと思った。美しければいいというわけではない。綺麗に撮れていればいいわけではない。唯美主義的な映画は、その絵に説得力がないのだ。

生意気にも指摘ばかりしてしまったが、本作にはとても可能性を感じた。観てよかったとも思えた。

中川監督の作風に興味を持ったので、他作品も観てみようと思う。
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