イホウジン

パラサイト 半地下の家族のイホウジンのレビュー・感想・評価

パラサイト 半地下の家族(2019年製作の映画)
4.3
善悪の対立をも軽く飛び越えた社会の不条理

格差社会や世界の分断がしきりに叫ばれるようになった昨今でも、それらのリアリズムを徹底的に追求した映画もそうないであろう。確かに同様なテーマの映画は近年多いが、それらは基本的に分断のどちらか(大体は貧困層)に加担して他方を「敵」とする構成である。しかしながら、今作はその善悪二元論を越えた社会の残酷さや卑しさをあぶりだすことに成功している。
つまり、どちらか一方に肩入れするということが今作では行われていないのだ。振り返ってみると富裕層一家は主人公一家に対して低賃金で働かせていた訳ではないし、終盤の展開はある意味主人公一家への“報い”とも言えよう。一方的なカタルシスは確かに映画的には美味しいのかもしれないが、それを意図的に排除した先に見えてくるのは、あらゆる事象がグレーゾーンになってしまう混沌で、それは社会の複雑さそのものである。
この映画の中で重くのしかかってくる問題は、金銭面の格差はその人の文化的な“品”に直結するということだろう。確かに主人公一家は富裕層一家の生活に入り込むことで序盤ではありえない程の富を得るが、中盤になっても食事は汚いし切り干し大根の匂いはするし、その猥雑さに変わりはない。この絶対的に埋められない溝の存在が鮮明になった時、人々のフラストレーションは爆発する。それは単なる経済的な格差に起因せず、言葉にもできないような多様な要因が存在しているはずだ。もはや不条理としか言い様がない。

そしてなにより今作が素晴らしいのは、これだけ社会的な物事に言及をしつつもエンタメ映画としての形を保っている所であろう。重要な場面は圧巻の映像と共に劇的に描かれるし、笑わせる場面では本気で笑わせに来る。この映画的な楽しさが今作の本来の魅力である。考察も楽しいが、やはりまずは視覚的に楽しめる映画というのが強烈な鑑賞体験には必須なのかもしれない。
映画内で重要なアイテムとして扱われるものもとても面白い。同じく韓国のイチャンドン監督の映画のような“メタファー”が多用されたものの数々だった。

ただ一点気になるのは、登場人物の描かれ方の差である。今作には複数の家族が登場するが、主人公一家の描写の丁寧さの割に他の家族の描かれ方が粗かったように感じられる。主人公一家の主観で全てを描くような映画だったら問題ないが、適当に他の家族に関する掘り下げもあったのでもっと追及して欲しかった。
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