ぴんじょん

パブリック 図書館の奇跡のぴんじょんのレビュー・感想・評価

パブリック 図書館の奇跡(2018年製作の映画)
4.0
エンタメとしては予告の方が面白いが。

予告編はむちゃくちゃ面白い。
とんでもないレファレンスが次々と舞い込んでくる、これどうやって処理するんだろうと不思議に思いました。
そして、公共図書館を最後のシェルターとするホームレスたちと、それを阻止しようとする公的権力。
これは見ずにはおられまい、と映画館に駆け付けました。

まあ、ほぼ想定した通りの内容で、考えさせられるところはしっかり考えさせられました。
映画自体は後者の「公共図書館が最後のシェルターとしてどう機能するか」ということがお話の主体。
残念ながら、予告に登場する「とんでもレファレンス」は、ちょっとした味付けに過ぎませんでした。
エンタメとしては、やや消化不良。

でも、この作品が、さして話題にならないのは、やはり日本とアメリカにおける「公共性」に対する認識の違いにあるのだろうと思いました。
「公共」と言った時、日本人は「他人に迷惑をかけない」、「静かにする」、「お互いに我慢する」というイメージを持つようです。
一方、アメリカ人は「権利」と言うことが前面に出るようです。

こういうと日本人は「だから権利、権利と言うやつはめんどうくさいんだ。」と言われるかもしれません。
でも、権利ってのは「不断の努力によって、これを保持しなければならない」って憲法の前文にも書かれてます。
「だから憲法なんか変えちまえって言ってんだよ。」という乱暴者も出てきそうですけど。
権利を主張することはもちろんだけど、と同時にとことん話し合うということも大事にされています。
この映画はそんな話し合いの材料と言うには最適です。

現実の公共図書館界では、この映画に登場するようなホームレスさんのにおいの問題というのはけっこう現実的な問題なんだそうです。
ホームレスさんだけじゃないですよ。
昨今では匂い過敏症の人もたくさんいますから、ちょっとしたオーデコロンだって苦しむ人はいるんだそうです。
そういう権利のぶつかり合いというのはなかなか難しいらしいんだそうです。

それにしても、この作品の中核は、主人公の図書館司書が、もとホームレスで、図書館いにょって立ち直れたってこと。
そういう彼を知っているからこそ、図書館長までが、自分の職を賭してまでホームレスの味方をしちゃうんでしょうね。
ここにも日本とアメリカの図書館に対する見方の違いがあるように思います。
日本では図書館は単に読書好きスノッブのたむろすところと考えられ、かの国では図書館は「生きるための手立てを得るところ」だからこそ、民主主義の最後の砦って考えられているんでしょうね。

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」みたいな催しだって、もっと図書館界が応援してよかったんじゃないか思うのでありました。

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