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フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊のotomisanのレビュー・感想・評価

4.1
 アンニュイな旧大陸からリバティーな新大陸に渡った人の子孫が新世紀を迎えると戦争に疲れた老大陸に逆戻り、もう生きて戻らない。そんなアーサーが袂を分かったカンザスだが、ジャズの「カンザス・ファイブ」あるいはそれが成立した背景となる「ファーゴ:カンザスシティ」のあの町ではない?らしいのだが。
 生きて故郷にまみえぬアーサー、それでも死んで埋められるのはカンザス州リバティーの地平線120°な荒地、いやいや季節が廻れば立派なトウモロコシ畑だろう。そんな中にローゼンターラー美術館をにょっきり建てれば玉蜀黍をかき分けてロスコもモーリス・ルイスも羨まし気にやってくるに違いない。

 そんな亡き大家も妬ましく出て来るかもなという絵描きローゼンターラーの秘密を知りたければ本誌最新号をどうぞ。また、最高傑作、ルシンダ記者に捧げた童貞のささやかな内ゲバ展開及び学生革命戦死録、なお、その死は最前線においてではなく最高所、解放ラジオ放送のアンテナから最低地点ブラセ川の底へ、週平均8.25人中の一人水死者としてであるが。さらに、春浅きアンニュイの週明けにして次の締め切りへのスタートポイント、サイクルクラッシュ篇に毒さえ極める味覚の追求者「警部補」の絶命半歩手前の事跡、こちらもカンザスシティ張りの危険都市であり漂流者を包み込む大きな懐でもあるアンニュイを縦横無尽と伝えてくれるだろう。そこがまた、アーサーをして「リバティー」しかない、つまりは人跡の何物もない米国を去るに至らせ、巴里のアメリカ人たらしめた事情にも通じるところかもしれない。これもこころあらばついでに。
 ホンの或る回の「フレンチ・デスパッチ」に過ぎないこれら記事が観衆はもちろん編集長アーサーにもこの世での見納めになる。贅を尽くした執筆陣の深入りのめり込み取材のためなら泣いて馬謖でもメッセンジャーボーイでも斬ったのに。いや、そこは"no crying"幾たびあの標語を噛みしめたろう、最後には皆も。しかし、メッセンジャーボーイひとりで幾らの節約になる?
 そんな火の車経営の結果が名声と叙勲の山となるのだが、他方、国許のあの豪邸は何事か?そこがそれ、親方カンザスの一夕刊紙であろうに、その財源のありかに想像を巡らすところともなり、或いはそれが若きアーサー半世紀前の出奔のもうひとつの背景かも?と、思わされないでもない。なにしろ、合衆国憲法も何のそので、かのファーゴなミズーリ州のカンザスシティ市は分け隔ての利かない位置関係なのだから。

 さて、栄典を叙すのもあちら様のご厚意というところだが、それを誇る様子もなく印刷機まで溶かして消し去れのきれいさっぱり廃業しろのと、跡を残さぬこと夥しい遺言だが、おそらく一つ忘れていたとすれば、最新号に意図しない一文が載る事だろう。
 それが自身への追悼文である。自らの閲読を当然入れられないこの文章に冥途で頭を抱えたか化けて出る気になるか想像が尽きない。
 もしその気なら、30年間一度も記事を書かなかった某氏の起用はどうだろう。冥途の土産、久しぶりに溜め込んだところを発揮願って、それがついでに別途映画化されるなら日本の一俄か読者も別冊の別冊を大いに喜ぶところだ。
 そんな隙を見せて読者の情を掻き立てる辺り監督、意図あっての事であろう。最後までその思うところが亡きアーサー経由で伝わって来るわけである。
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