KnightsofOdessa

ファブリックのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ファブリック(2018年製作の映画)
4.0
[90年代のトリアーが『クリスティーン』を撮ったら] 80点

言いたくないけど大傑作。悪趣味な性倒錯映画や薄気味悪く特に意味は分からないけど取り敢えず長編になっている"芸術"映画を作らせればピーター・ストリックランドの右に出る者はいないのではないか。イタリアのホラー映画に効果音をつけるイギリス人効果音技師の発狂譚『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』や教授と生徒のSM的レズビアン主従関係『バーガンディ公爵』などを観てみれば、昔のユーロホラーや基軸国としているハンガリー映画への目配せなどを感じずにはいられないものの、同時に作品から溢れ出る気持ち悪い生臭さへの嫌悪感を拭い去ることは出来ない。ハンガリー映画を引用してくる当たりからも余計に。そんな彼の最新作が、なんとA24から登場したのだ。嫌いな監督から逃げる唯一の方法は、その全てを観ることだ。

本作品は人を殺していく"呪いのドレス"についての物語を主軸に性倒錯物語を構築し、ドレスを巡る二つの挿話を貼り合わせたような作品になっている。前半は銀行の窓口係シーラの物語だ。十代の息子は年上の恋人との逢瀬に夢中で、自身は私書箱を使ったマッチングを使ってデートをしていた。ドレスはデートのために購入したものだが、次第にドレスそのものが呪いの人形のようにシーラの分身となっていく。ドレスを洗濯機で洗うとシーラが傷付き、ドレスが犬に噛まれるとなんら関係のないシーラの足が損傷するといったように。そして、息子とその恋人がセックスしているベッドにドレスが飛んでいったり、ワードローブの中で暴れまわったりして、ドレスが人格を得たかのように振る舞う姿はクラシックな幽霊像の再生産ながら、ストリックランド的世界に何の障壁もなく溶け込むように再創造されたものでもある。

同時に、購入したドレスの採寸や返品に応じない不気味なアパート及びその店員たちについての意味不明で性倒錯的な挿話もクロスカットで描かれる。 Fatma Mohamed演じるラックムーアは、眉毛と坊主頭に真っ白なメイクという完全にサボー・イシュトヴァン『メフィスト』におけるメフィストフェレスに着想を得たであろう姿で登場し、謎の儀式やマネキンの愛撫などをグロテスクに展開する。更にはデパートのセールに訪れる人々を俯瞰で見下ろしたり、奇妙なダンスで迎え入れたりするシーンでは消費主義への批判的な態度を匂わせるなど、挿話は一気に多層的に広がる。

後半は気弱な洗濯機修理工とその妻の物語だ。新婚の二人は紆余曲折を経て二人共ドレスを着ることになり、その不思議な力による怪奇現象に苦しめられる。洗濯機の直し方を解説すると聞き手は恍惚の表情を浮かべる、嫌味な上司が解雇の証として社員証を食べる、産まれたばかりの赤ちゃんが赤いドレスを着て中指立てるなど悪趣味なギャグが並べられており、ストリックランド的な気持ち悪さというよりも初期ラース・フォン・トリアー的な気持ち悪さが目立つ。そして、赤いデパートは妻を例のデパートへ誘い、トリアーの『キングダム』に出てくるキングダム病院ように時間や生死の端境を超越したデパートが最終的な主人公となる。全く以て不必要な後半パートがこうやって回収されるのは、全体的に愚鈍で顔中を舐められるような不快感を爽快感に変えてしまう魔力を持っている。

ストリックランドのお家芸であるガラスの反射で空間を圧縮するショットは控えめになり、代わりに印象的な合わせ鏡ショットが一度だけ登場する。このショットでは合わせ鏡に映る人物が3パターンの別々の仕草をしており、心理的な恐怖感を煽る。或いは、マネキンを愛撫するラックムーアを眺めながら自慰に耽る店長を反射だけで一画面に収めたシーンは最早神々しかった。

人を殺す"呪いのドレス"だなんてカンタン・デピューとか好きそうな題材だし、アレックス・ヴァン・ヴァーメルダム『ドレス』やジョン・カーペンター『クリスティーン』も同じ様な作品だった。嫌いなストリックランドにしては作家性と商業性を両立させやがった傑作であり、少々ムカつくがかなり気に入ってしまった。
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