カルダモン

新宿泥棒日記のカルダモンのレビュー・感想・評価

新宿泥棒日記(1969年製作の映画)
3.3
新宿紀伊国屋書店で本を万引きする岡ノ上鳥男(横尾忠則)を目撃した鈴木ウメ子(横山リエ)は、紀伊國屋の社長である田辺茂一(本人)の元へ鳥男を突き出す。急に連れてこられて戸惑う田辺、明日また万引きしに来ますと予告する鳥男、三回目からは警察に連れて行くというウメ子。

若さ、勢い、リビドー。
理性を保つように務めても閉じ込めては置けない性欲。求めているのは心よりもまずは体だ!という焦燥感が漲っている。不完全で何かが足りない二人。セックスをしても十分な満足が得られない。欠けているのは何なのか、二人が高橋鐡(本人)の社団法人生活心理学会を訪ねて春画を拝見しながら高説賜るシーンは妙な素の状態で可笑しい。体は裸になれても心は裸になれていないのだ、と言われましても。

男衆が喧喧諤諤のセックス論を打つ場面の完全アドリブも笑っちゃう。「君、セックスとは何かね?」「そりゃあキミ、オナニーではありえないことだよ」「テクニックだけの問題じゃないのだよ」「例えばだね、」みたいなことを延々と。いくら弁論を積み重ねたところで言葉はセックスとは程遠い。何も進まない不毛さ。

60年代末、文学的で演劇的な空気が充満してる。私はその時代の空気を直に吸ってはいないのに、新宿東口広場でゲリラ的に行われる路上演劇や西口のロータリーの近代感、花園神社のテント小屋で唐十郎の演劇などの様子を見ると、当時に帰ったような気分になれる。時折画面いっぱいに差し込まれる『午后五時半』『不快指数八十三』のようなテロップ文字がより生々しさを煽り、報道映像のようだった。

深夜二時の新宿東口前広場で、機動隊や警察と学生たちの小競り合い。その只中にカメラが向けられる。行きどころのない怒り、と性欲。どっちも解放したら別人のように萎んでしまうのに、またムクムクと沸いてくる。

横尾忠則、若い。ほっそりしてる。この映画が撮られた当時は30歳くらいかな?
唐十郎も。劇映画だけど半ドキュメントでした。