ねこねここねこ

幼い依頼人のねこねここねこのネタバレレビュー・内容・結末

幼い依頼人(2019年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

この映画が「漆谷継母児童虐待死亡事件」という実話をベースに作られているという事実がすごく重い。
継母が虐待するだけではなく、虐待によって死亡したミンジュンの死について、恐怖というマインドコントロールでミンジュンを可愛がっていた姉ダビンに罪を被せるという狡猾さ。見ていて反吐が出そう。

ロースクールを卒業後、出世することだけが目標だったジョンヨプ(イ・ドンフィ)はある法律事務所の面接で、被害者の自宅前で35分も刺し続けた強盗犯に襲われている被害者を38人もの多くの人が目撃していたにもかかわらず、誰も助けなかったキティジェノヴィーズ事件の傍観者について問われ、そんな犯人から身を守る権利があるし、法に反してないので無罪だと主張。自説になんの疑問も持っていなかったジョンヨプが、傍観者でいることをやめ、被虐待児のダビンを守ろうとする過程を描きつつ、事件を描いている。

いつまでもブラブラと働かない弟に業を煮やした姉によって児童福祉館で渋々働き出したジョンヨプ。警察からの通報で退職予定の女性と交番に駆けつけると、継母に首を締められ訴えて来たダビンと出会う。「私が間違ってますか?悪い人がいたら警察のおじさんに言うようにならったのに」と問いかけるダビンに大人達は困惑。
ジョンヨプは「間違ってない」と答える。
虐待が疑わしくても何もできない無力感で耐えられず退職を決意した女性。

子供は嫌いだが子供がお金になるとしか思っていない父親。
近所の住人もダビンの担任教師も虐待に気づきながら、誰も助けようとは思っていない。口では「大丈夫?」とか「助ける」と言いながら誰も助けようとはしない。そんな大人達にはもう期待しなくなったダビンだが、唯一警察に行ったことを肯定してくれたジョンヨプを頼って行く。戸惑いながらも2人にハンバーガー🍔をご馳走したり、動物園に連れて行ったり。2人はまたジョンヨプと一緒にハンバーガーを食べる日を待ち望み、ジョンヨプは2人を追い払うように5万ウォン(2人の子供にしては大金で5500円くらいかな?)とゴリラのぬいぐるみを渡してソウルの法律事務所へ。めでたく採用され、嬉々として旅立つジョンヨプ。しかしハンバーガー店の前で佇む姉弟を見て少し胸を痛める。

その後も虐待は続き、何度か助けを求めて(おそらくダビンを好きな同級生の)ジャンホのスマホを借りてジョンヨプに助けを求める電話をかけるが、留守電ばかりになる。結局ジョンヨプがあげた5万ウォン札を見た継母が、自分の財布から取ったと思い、殴られ足りないから悪いことをするんだとミンジュンを殴ったり蹴ったりし続け、腸管膜が破裂したミンジュンは死亡。

継母はそれをダビンがやったことにしようと恐怖で支配して偽の自白を強要。継母に殺されるか偽を自白をするかの選択を迫られたダビン。恐怖と弟を守れなかった後悔から絶望するダビンを周囲は好奇の目で見るだけ。

警察に連行されるダビンに必死で声をかけるジョンヨプだが、ダビンはもう心を閉ざしてしまう。
自分のあげたお金が原因になっていること、一緒にハンバーガーを食べに行くという約束を守れなかったことで深く自責の念に駆られたジョンヨプは、もう傍観者でいることをやめ、ダビンを守るために動き出す…。

映画の中ではダビンを助けようとするジョンヨプや、ダビンに好意的な同級生ジャンホが色々とジョンヨプからのプレゼントをダビンに届けてくれたりするが、実際にはそういう存在は全くなく、孤立無援の12歳の少女が、絶望の中で偽の自白を強要され、必死で闘ったのだ。その事件の凄惨さは筆舌に尽くしがたいもので、洗濯機に入れられて回されたり、浴槽に顔を突っ込まれて気絶させられたり、唐辛子10本を口に突っ込まれて蹴られたり、縄で縛られて階段から突き落とされたりしたようだ。
身体はもちろん、こんな虐待を受けていたら心が死んでしまう。
実際に保護しようとした親類に対しても両親が「姉妹がこの親類から性的暴行を受けた」と訴えて親類を遠ざけたり、学校が虐待の痕跡を確認しようとすると「服を脱がされて娘が恥ずかしがっている」と抗議して確認できないようにしたり。
誰かが児童保護機関に通報する度に継母は虐待を否定し、通報の度に虐待はエスカレートしたようだ。
映画よりも凄惨で目や耳を覆いたくなるものだったことは想像に難くない。

日本でもそうだが、保護者は絶対的な権利を持っている。特に実際の事件当時はそうだ。そして児相はなんの法的権限もない。
訪問しても親が扉を開かなければ、すごすごと戻るしかない。

そうしたことを私たちもうすうす知っているのに、悲惨な事件が報道されると、警察や児相は何をしていたんだ!と憤る。
誰かがなんとかしてくれることを願う傍観者であることの罪悪感から責めやすいところを責めるのかもしれない。

そしてこの映画、継母役のユソンやジョンヨプ役のイ・ドンフィ、そしてダビン役のチェ・ミョンビンまで、俳優達の演技がうますぎるために、よりリアルで目を背けるたくなるような作品になっている。

映画では裁判の最後に継母が母親とはどんなものか?とジョンヨプに質問され「いないのに知るわけない!」とキレるシーンがある。継母もまた可哀想な人間なのかもしれないが…。
母親から優しくされたことがないから他人に優しさを求める人間、他人に優しくなれない人間、優しくなろうと努力する人間。
一概に母親がいなかったから可哀想というのはやはり違うし言い訳にもならないと思うが。

漆谷継母児童虐待死亡事件の被害者は既に成人しており、現在はアートセラピーを学び自分のような被虐待児の力になりたいと頑張っているようだ。継母や実父から受けた虐待により、似た人をみると呼吸困難になるなどのフラッシュバックに苦しみ、トラウマを抱えた彼女は、立派なサバイバーなのだ。サバイバー特有の生き残った罪悪感に苦しむことも多かったと思うが、これからの人生が豊かで幸せなものであることを切に祈る。