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はちどりのslowのネタバレレビュー・内容・結末

はちどり(2018年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

ある人がこの手指は宝だと言った。せっかく与えられたものだから、動かせる間、使わせてもらっている。そんな風にその人は言った。手を引いて欲しいわけでも、目を覆って欲しいわけでもない。贅沢は言わない。わたしの視線が定まらない時に目印となるよう、手を振ってくれればいい。わたしは、それを頼りに目一杯羽ばたく。それがさようならだったとしても。手を振ってくれれば、わたしはそこまでを迷わない。

父や兄が突然泣き出すシーン。これは殺したはずの気持ちが一瞬だけ家族のそれに戻る瞬間だったろうか。母の兄はウニの兄の未来であるような、観終わった後になってそんなことを思う。母の兄は玄関を出た直後に飛び降りてしまうのではと心配してしまったけれど、流石にそれはなかった。でも、あれは酔っ払って会いに来たとかそういう感じではなく、お別れをしに来たのだろう。男たるものという韓国で受け継がれてきた家父長制が齎す心の破壊。破壊は破壊を呼び、女性たちはその理不尽な皺寄せを、さも当然のことのように被って来た。これは男たちも大きな枠組みで見れば被害者であるとか、そう単純なものでもなく、第三者への言い訳にしかならない。死ななければいいのか。日頃から振るう暴力で死ぬことだってあるだろう。消えない傷跡が残ることもあるだろう。やはり大きな流れ自体を変えなければ。そう感じながらも、母の兄もウニの兄も、圧倒的な流れに為す術もなかったのだろう。そこに感じ取るべき葛藤があったのも確かだ。その社会における模範的な男になることを宿命付けられるという呪いには、少しばかり同情の余地があるかもしれない。
ウニの母はウニたちが感じている以上の抑圧の時代を生きた世代であろう。それが娘の時代にまで色濃く引き継がれてしまっていることを嘆きながらも、それを直視することが出来ずにいる。ウニの姉は一歩先を行くウニの未来だ。この未来を毎日見せられるウニの希望とは何か。両親からは兄と姉のような社会的な成功を期待されてはおらず、もしかしたら稼業の餅屋を継がせればいいと思われているのかもしれない。店の手伝いも姉より小慣れて板に付いて来ているのが何ともあれで、ウニ自身何処かでそれを予感している。家族は皆、各々非なる心を持って、せめて誰のしもべにもなるまいと生きる。家族と言えど他人であるという救いにもならない救いを盾に、ひたすらに日々を辛抱しているようにさえ見える。ヨンジはそんな暗黒の時代を変えようとした世代だったけれど、半ばで諦めざるを得なくなる。それどころか、その時代、その社会の体たらくによって、ヨンジは命を落とすことになってしまった(あの橋の崩落事故は実際に起こったもので、手抜き工事が原因だったのだそう)。何か韓国という国自体が自分たちで作った籠の中で身動きが取れなくなっているような、そんな風にも受け取れる題。あの大事故を絡め、国の希望になり得た思想や若い力を潰しているのもまた国なのだと、監督は言いたかったのだろうか。しかし、ヨンジが存在したこと。この世界でウニと交錯したこと(ウニもヨンジも左利き。偶然かもしれないけれど、そういうシンパシーもあったかな。)は、彼女がいなくなってしまっても、その後に影響を及ぼし続ける。彼女がまだ居た時の「先生と同じ大学だよ」とウニが兄に話した時の会話(になってはいなかったけれど)も、もしかしたら久しぶりのそれだったのかなと思ったり。直ぐに何かが変わったわけではないけれど、それもヨンジの良い作用だったのだろう。兄のきょとんとした顔が印象的だった。ヨンジのように声を上げられる存在が社会を変えて行くには必要。その変化を起こすには、目の前にいる未来の目を蔑ろにせず、真摯に受け止めることから始めなくてはならないのだとも、この物語は言っていたように思う。

『スクールズ・アウト』で見た子供たちの目。そして、終盤のあるシーンが『コロンバス』のある感情的なシーンと重なる。本作を好きになった理由は単純に映像や音楽の質の高さだけではなくて、それら好きな作品との表現のリンクがあった。キャスティングも素晴らしい。140分間の物語を成立させるのに十分な存在感を見せた主演のパク・ジフ。『ひと夏のファンタジア』で個人的に思い入れのあったキム・セビョクや、『わたしたち』で好演を見せたソル・ヘイン。家族や友人の脇役にまで抜かりがない。韓国にはまだまだ良い監督(このキム・ボラの発見はちょっとナディーン・ラバキーを見つけた時の嬉しさに似ているかも)と役者がいるな。驚いたことにキム・ボラはこれが初長編作品なのだそうで、これから監督を続けてくれるのであれば非常に楽しみ。
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