CINEMASA

豚のCINEMASAのレビュー・感想・評価

(1970年製作の映画)
4.0
 中編のドキュメンタリー映画。マルセイユ出身のドキュメンタリー映画作家で友人でもあったジャン゠ミシェル・バルジョルとの共同監督作品となる。

 舞台はフランスのある⽥舎街。男たちが⼀匹の豚を引っ張ってきて屠殺・解体・加工・調理をしていく過程をつぶさに捉えた1作。この模様は幼少時のバルジョルがアルデシュ県で何度か⽬にした光景に由来するとか。ユスターシュとバルジョルの作業に明確な分担は無く、各自が撮りたい被写体を撮りたいように撮影し、編集したという。その結果、本作は⺠俗学・実験映画の双方の見地に於いて注目すべき記録映画に仕上がった。

 食肉加工(時として屠殺を含む)を描いたドキュメンタリー作品と言えば、巨匠フレデリック・ワイズマン監督による『肉』(1976年)が有名だが、本作はそれに先んずる作品である。その他、ニコラウス・ゲイハルター監督の『いのちの食べかた』(2005年)、纐纈あや監督の『ある精肉店のはなし』(2013年)が有名どころか。といって、屠場・屠殺はタブー視される傾向に有るので、それを描いた記録映画は多くない。特に日本の場合は、被差別部落の問題も有り、被写体が撮られる事を嫌がる事が多いし。

 僕は高校生の時に実際の屠場を特別に見学させてもらった経験が有る。精肉店でアルバイトをしていた時(←来る日も来る日も内臓を冷水で洗いに洗ったものだ)に「屠場の現場を見たいです! 食肉センターも見てみたいです!」と申し出たのだ。無論、精肉店内での屠殺は法律で禁止されているので、外部(屠場→食肉センター)に足を運んで見て周らせていただいた。その際、「興味本位やったらアカンぞ。やめとけ」と言われた事を覚えている。それでも「自分が食べている物がどうやってココ(=店舗)に並ぶか、ちゃんと知っておきたいんです」と答えたら、「そっか。わかった。ほならかまへん」という事で話を通していただいたのだ。そんな僕であるから、本作は大変に興味深く観る事が出来た。

 といっても、この『豚』で描かれる屠殺は、無論にオートメーション化以前の原初的なそれである。眉間に「がぼっ!!」っと空気圧で穴を開けて瞬殺するようなものではない。現在でも原初的な手順を踏んでいる屠場は在るが、それについては、先述した、大阪は貝塚市の屠場も営んでいる精肉店を捉えたドキュメンタリー映画『ある精肉店の話』や、書籍『ドキュメント 屠場』(岩波新書:刊、鎌田慧:著)や、『ホルモン奉行』(新潮文庫:刊、角岡伸彦:著)、『牛を屠る』(双葉文庫:刊、佐川光晴:著)等を御参考にされたし。

 本作『豚』では、首元にナイフを入れて掻き切り、大量の血液をバケツに入れ、血抜きをした後で解体していく。外気が冷たいのか、豚の血液や内臓が温かいのか、その心臓からは、しばらくもうもうと湯気が立ち上る。咥え煙草の男たちが数人がかりで、頭部を切断し、太ももを切り落とし、肉身を削ぎつつ部位毎に切り分け、余分な血液を更に汲み出し、心臓を取り出し、その他、臓物の処理をする。

 ある小屋の中では、これからハムを造るという事で、一人の男が肉身を切り分けている。また、ある小屋では、肉身を手動式の挽き肉機で挽き、それに調味料や卵を加えてまとめたものを、今度はまた手回しの機会を使って腸に詰めて行く。腸詰め(=ソーセージ)である。それを茹で、「まだ茹で方が甘い」だのどうだのと言い合っている中、パンや酒が運ばれて来る。

 そういった模様を淡々と描きつつ、本作は、日が明けてから暮れるまでの、ある村のある一日の光景として構成している。

 本作が描き出しているのは、屠殺・食肉加工を中心としての<人間の営み>だ。特にこれといって祝祭めいた光景が繰り広げられるわけではないが、何か特別な日なのであろう。ナイフで肉身を削いでいる男に向けて、その傍らに居る男が「手際が悪いぞ」と声を掛ける。その様から、この光景が連日に渡る恒常的なものでは無い事は明らかだ。が、何か胸が沸き立つような、そんな予兆めいたものが本作には滲み出ている。きっと、本作に収められている光景は、ある種、特別な一日のそれであるのだ。

 実に、実に興味深く観た。

 但し、本作は、あくまでジャン゠ミシェル・バルジョルとの共同作業に依って生み出された映画であり、ここにジャン・ユスターシュの本質・本領が全面的に披瀝されている訳で無い事は言うまでもない。
CINEMASA

CINEMASA