こういう作家がちゃんと生き続けていて安心した。
エリア・スレイマン自ら観察者として、キートンやジャック・タチにあえて80年代のゴダールも想起させつつ模倣できるのは、素質云々より持って生まれたものだろうな
DIの鼻くそ手榴弾や、女の姿に見入って、壮大なズッコケを行う、古くはルイ・フイヤードの全く申し分ない貴婦人から始まっている思う荒唐無稽さは流石に落ち着いた
シネスコなのに画面の中央にいるのは形式的表現だと思いつつ、映画より取って代わっていると思うからせめてアメリカンビスタで撮るべき
これこそスタンダード方がいい