イホウジン

燃ゆる女の肖像のイホウジンのレビュー・感想・評価

燃ゆる女の肖像(2019年製作の映画)
4.6
静かに、でも熱く激しく燃え上がる心

まさに極上の映画体験だ。テーマから映像,演技,音楽に至る何から何まで、全てがひたすらに美しい。静と動が入り交じる、ジェットコースターのような映画である一方、その基底となる要素はとても穏やかで、まるで大河の流れを眺めているようだ。この相容れないはずの2つの要素が絶妙なバランスで合わさることで、今作は唯一無二の傑作となった。

実のところ、今作を「恋愛映画」や「同性愛の映画」としてだけ見るのは、少々ナンセンスなことのように感じる。確かに今作は19世紀末の抑圧された社会の中で愛を分かち合う2人の女性の映画だが、それは今作の中に含まれる膨大な要素のうちの一つでしかない。多様な切り口から多様な物事を想うことが出来るのが、今作の面白さのひとつだ。
例えば今作は、人間の相互作用における「見る-見られる」関係を錯乱する。通常、見る側は見られる側を観察することで、優位な立場に立つ。見る側は自由に移動できながら見られる側は檻の中にいる、動物園を思い浮かべれば容易だろう。ところが、今作の“動物”は見る側にいるはずの“人間”との立場の逆転を促す。そしてこの大胆な手法に主人公は一時戸惑うも、その経験によって2人の上下関係は脱却されたのである。
また今作にはシスターフッドの側面も強くある。それを象徴するのが、今作の3人目たる女中の存在だ。もし今作が単なる恋愛映画なら、彼女はただのノイズだ。しかし劇中、彼女は2人の関係に干渉することなくナチュラルに存在し続け、最終的には終盤に繋がる出来事の主役となる。このことが示すのは、この映画に出てくる女性たちは単に愛し合う仲ではなく、連帯する仲であるということだ。一瞬だけながらも自立を経験した彼女たちに、観客も勇気づけられる。
更には、人の記憶の美しさや儚さといった話題もテーマの一つだ。中盤のオルフェウスの神話の討論はそれを象徴するだろう。あまりにも美しく永遠のものにしてやりたい現在をどう保つかという問題に対し、敢えてそれを抹消することで永遠に記憶として残し続けるという方法は、あまりにも有効でかつ残酷だ。しかしこの手法は、今作のラストの“成功”を同時に生み出したとも言えよう。記録メディアとしての芸術の存在感の大きさを知覚出来る。
当然、恋愛の要素も欠かせない。ここで重要なのは、この映画には明確な主人公とヒロインの関係が存在しないということだ。特に中盤では、2人の視点が頻繁に切り替わり、主人公の添え物としてのヒロインの概念はもはや消滅する。前述した通り、この対等な関係性こそが今作の肝の一つになっているように感じられる。

このような多様な要素を束ねるのが、劇中の「人物画」だ。今作には複数の絵画が登場するが、そのどれもが劇中の出来事や心情を代弁する存在となっている。
・「燃ゆる女の肖像」,自殺する女性の絵画→主人公の永遠の記憶。悲しくも愛おしい過去。
・最初の肖像画→2人の表面的な自分像。これの放棄は互いの心情の探求の始まり。
・次の肖像画→2人の愛の具現。描かれた時点で過去になりながら、それは自画像として永遠のものとなる。
・避妊の絵→画家の内面の吐露(?)
・ブローチの絵,28ページの絵→前述の肖像画のB面。表面的な情報だけでは他者から認識され得ない、2人の関係性の象徴。
描く行為の変化が、そのまま画家の心情の変化を反映しているのである。

たった3回しか流れない音楽も見事だ。どれも映像空間に現実に流れている音であり、単なる観客のためのBGMではない。音楽もまた先ほどの絵画と同様、2人の記憶のシンボルとして機能しているのである。観客はまさにその記憶に「便乗する」ような存在だ。まるで2人の共犯者であるかのように、観客もまた音楽の疑似体験をするのである。
そして何よりも今作を基底から支えているのは俳優陣の演技と、それを強調する映像だ。小津の映画並にクローズアップが多用され、そこでの微妙な表情の変化は、そのまま映画のストーリー全体へ組み込まれる。ラストショットはその典型とも言えよう。アメリカンなオーバーな表現でも、日本的なポーカーフェイスでもない、その間でバランスをとるような絶妙な表現は、まさしく今作の見どころと言ってもいいだろう。

観念的な映画ではあるが、やはり社会的なものも背景に伺うことが出来る。というのも、劇中ほとんど男性が登場しないにも関わらず、何故か「男性的なもの」が常に背後に付きまとうのである。最初の肖像画を描くパートの息苦しさも、男性的な社会に裏打ちされた規律の重さに由来するものであろうし、画家や母親の生い立ちからは、その理不尽な社会の状況を察することが出来る。故に中盤からのパートの自由がこの上なく崇高なものに見えるのかもしれないし、その後に待ち受ける現実に対して複雑な感情を覚えずにはいられないし、ラストショットに現代に続く希望を感じざるをえないのかもしれない。

前半が少々長ったらしく感じた。ワクワク感の前に飽きが来た。

赤と緑の補色関係にある2人の衣装や、圧倒的な映像美などなど、まだまだ語りきれない要素が多すぎる。それだけでも今作を傑作として語るには十分である。
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