KnightsofOdessa

燃ゆる女の肖像のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

燃ゆる女の肖像(2019年製作の映画)
5.0
BIFFレポート⑦[あまりにも圧倒的な愛と平等の物語] 100点

圧倒的大傑作。人生ベスト。まるで彼女たちと一緒に過ごした二週間が体感二時間で駆け抜けてしまったという感じの幸福感と喪失感で溢れていた作品。どんなシーンでも思い返す度に涙が溢れ出してしまうような美しさと儚さに満ちている。物語は生徒に絵を教える(つまり希望の職を続けられた)マリアンヌが、『炎の貴婦人の肖像画』と呼ぶ一枚の絵について想いに耽る回想形式になっているが、待てども待てどもその絵については言及されないし、なんならぴったり同じシーンは出てこない。ここで、シアマはいきなり映画を観て思い返す行為を18世紀に再現しているのだ。印象的な焚き火とエロイーズの構図、最も幸福だったといえる海岸、初めて愛を交わした夜、想い出の全てが詰まった絵は、マリアンヌの圧縮された記憶そのものである。我々がこの尊すぎる映画について思い返すとき、必ず含まれるこれらのシーンが完璧に再現された絵画を最初に写すことで、マリアンヌと我々が同化する未来を予測させる。

マリアンヌは同じく画家だった亡き父の伝で、ある孤島へ向かう。画材が波にさらわれるとドレスのまま海に飛び込む意思の強さを見せる。冒頭のどこか疲れたマリアンヌとは似ても似つかない。マリアンヌは、亡くなった姉に代わって会ったこともない相手と結婚するため、修道院から連れ出されたエロイーズという女性の肖像画を描くことになっていたのだ。エロイーズの姉は崖から飛び降りた、前任の画家に対してはポーズを取らなかった、などと並べられたマリアンヌは、当然エロイーズを警戒する。これが前半の肝となる。所謂警戒→打ち解けという古典的な友情恋愛物語の手法に乗っ取っていることが分かる。嫁入り道具としての肖像画が主軸になるということは、二人の別れも簡単に予測ができる。しかし、本作品はジャンル映画には終わらない。

序盤で最も美しいシーンの一つはエロイーズとマリアンヌが初めて散歩に出かけるシーンだろう。歩く度にフードが少しずつ脱げていき、アデル・エネルの輝くブロンドヘアが崖の向こうに見える真っ青な海に溶ける。急に走り出したと思うと、崖の目の前で止まり、ズバッと振り返る。あたふたするマリアンヌに対して"久しぶりに走りたかった"と言い、笑顔を見せるのだ。マリアンヌ、そして我々が初めてエロイーズの顔を見たとき、彼女は笑っていたのだ。そして、彼女たちの表情は時を経るごとに柔らかくなっていく。望まない結婚を控えるエロイーズと女性画家として生活出来るかの瀬戸際に立つマリアンヌは、自身の置かれた状況を悲観することなく受け止め、そのために泣くことはない。互いが泣くのは互いのためでしかない、ここに男性優位社会に生きる彼女たちの強さが伺える。

二人の想い出には意外にももう一人の登場人物がいる。それが女中のソフィーだ。彼女は女中だが、雇い主であるエロイーズや客人であるマリアンヌとは平等な関係性を築いており、同じ机でご飯を食べ、同じ机でカードに興じ、なんならベッドで眠る傍らでエロイーズとマリアンヌが看病するシーンまで出てくる。シアマの"これは平等性の映画だ"という言葉を体現した対等な関係は、この時代にしては非常に先進的な考えだろう。

彼女は誰とは明かされない男性との子供を身籠っており、謎の伝承(浜を倒れるまで走って変な薬を飲む)や村の魔女を頼って堕胎を行い、エロイーズとマリアンヌはそれを助けることになる。それが、物語上二人の間を取り持つことになり、惹かれ合う最初のきっかけとして最後まで残り続ける。そして、女性二人には出来ない妊娠と出産を"終わらせる"ことが、エロイーズとマリアンヌの関係の終焉を予測させる非常に重要なメタファーになっており、そのまま記憶そのものを"殺す"ことにも繋がってしまう。エロイーズがそれに言及すると、マリアンヌは"後悔しないで、憶えておいて"と応えるのだ。あまりにも美しすぎる。ルイ・マル『好奇心』でも同じようなセリフがあったが、あれも禁忌を描いた作品だったことを思い出す。

物語で重要になってくるもう一つの要素として、ヴィヴァルディの四季から夏の第2楽章がある。修道院にいて賛美歌しか知らなかったエロイーズにマリアンヌが都市生活の美しさを語る際、この曲をピアノで弾くのだ。エロイーズはマリアンヌから彼女自身の自画像を描いてそれを貰ったり、勿論嫁入り道具としての肖像画など、マリアンヌを思い出す要素を含んだ物質はあったとは思うが、この時代の高貴な人間が意図せずに聴くことになる"音楽"として登場するのはこの曲だけだ。そして、言うまでもなくラストで流れる。流れてしまった時間が極限まで圧縮され、空間まで排除され、シアマがエネルを信じ切った画面構成で、この美しき物語を美しき音楽で締めくくるのだ。演奏とともに、我々の脳裏には共に過ごした時間が蘇る。我々は最後の最後でエロイーズになったのか?違う、我々はマリアンヌの視点を持ったままだ。

マリアンヌとエロイーズは、あの時間だけ同じものを見ていたのだ。

風の吹く丘、波の打ち付ける崖、初めてキスをした浜辺、ソフィーを連れて行った小屋、夜の焚き火、薄暗い食卓、明るい作業部屋、そして二人で忘れ得ぬ日々を過ごした寝室。我々、マリアンヌ、エロイーズ、三者がつながったこの瞬間を以て、映画は幕を下ろす。


※現地レポート
今回の主役。一番最初にスケジュールを埋めた作品でもある。当日は夜にティモシー・シャラメ登壇の『キング』の上映があったため、その前の日からチケットセンターに列ができていたのだが、当日券販売開始20分後に到着すると、既に本作品だけ売り切れていた。実を言うとこの日は『Running to the Sky』と『Fabulous』という非常に残念な映画を観た後だったので非常に心が荒んでいたのだが、この映画一本で全回復してしまった。ただ、二列目のど真ん中、前に席なしという最高の状態で観たのが仇となって、途中入場者が上映開始20分くらいまで絶えなかったのが全員目に入ってイライラした。係員は一人ずつ案内するのだが、入り口で誘導を待っている客もスクリーンを観ているため、入り口から離れた階段で手を振る→見えてないので迎えに行くというのを散々繰り返すのだ。仕方ないけど、間に合ってくれ。

それに反するように、途中退場者は一人もおらず、終映後は温かい拍手に包まれていた。あれで、セリーヌ・シアマ、アデル・エネル、ノエミ・メルランの三人が登場しようもんなら、私が号泣してただろうし、卒倒していた人もいるかもしれない。いや、私が卒倒していたかもしれない。次に観た『John Denver Trending』も中々な映画だったものの、今年観た550本の中で一番に輝く本作品を観た直後ってのはかなり分が悪い気がする。

・追記
シアマとエネルは『水の中のつぼみ』以降、恋愛関係にあったのだが、さっき二人が別れていたことを知った。もしかしたら、シアマの物語なのかもしれない。
KnightsofOdessa

KnightsofOdessa