ーcoyolyー

キーパー ある兵士の奇跡のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

キーパー ある兵士の奇跡(2018年製作の映画)
3.7
「選手の動きは美しいダンスだ」そう!それな!ほんそれ!

いつの間にか2022-2023シーズン独走だと思っていたアーセナルをぶっちぎって優勝してたマンチェスター・シティおめでとうというわけでもないんですが、もうすぐ配信終了だというのでリストに入れっぱなしで放置だったのを急いで観てみました。

マンチェスター・シティと戦争というと昨季優勝時のジンチェンコ(ウクライナ人)の印象が強く、プレミアリーグ詳しい友人によるとアーセナルが失速したのはジンチェンコ(今季マンCからアーセナルに移籍)が故障してから、とも聞いていたのでジンチェンコのことや、サッカーと軍隊という話なら我々のチームの韓国人GKク・ソンユンが兵役で2年ほどチームを離れて戻ってきたというホットなエピソードもありますので色々考えてしまうのかなと予想していたんだけど意外にも考えるのは日本生まれ日本育ちの韓国籍在日コリアンかつサッカー北朝鮮代表経験者、鄭大世のことばかりでした。

鄭大世の受容のされ方。
彼はあのキャラクターで、つまり道化を演じることで我々日本人サッカーファンに受容されたのですけど、彼の背景を考えると我々ふんぞり返った日本人が「お前面白いから受け入れてやるよ」と傲慢な態度で彼の居場所を『あけてやった』、その一連の流れに常に怯えてオドオドビクビクしていたところは私が思っていた以上にあるんじゃないかなと。我々の気分次第でやっぱりお前の席ねえから、といつだって反故にされてしまうそんな危うい身分なんですよ。なのに彼がそんな心許ない身分であることに我々のほとんどは注意を払っていない、「お前チョンだけど許してやるよ」的な極めて傲慢な態度を意識すらしていない、そこで差別語を使っていることすらネタにしてるだけ、みたいな体育会系男子ノリですよね。そこにヘラヘラ相槌を打って笑われなければ居場所がない。この辛さよ。

マイノリティであること。それは恵まれているとされる人間にも襲いかかること。イケメンで高卒即アーセナル入団するくらいのサッカー選手としてのポテンシャルを持っていたのに鄭大世と似たようなキャラクターを演じてマジョリティに必死に嫉妬されないようにサバイブする宮市亮の姿を見た時に私は泣きそうになりました。この人こうしなければ体育会系の男社会で生き延びることできなかったんだ、ここまで道化だとアピールしないと嫉妬で殺されてしまっていたんだとわかりすぎてしまったので。要は十代の私と同じ生存戦略を選択した人だったので。鄭大世も宮市亮も「普通」ではいられない、その人なりの「普通」のままでいると「普通の人々」に即座に食い荒らされる。そんな人たちで、そんな人たちの辛さを身をもって知る私は誰も努力を強いられず、道化を演じなくとも「普通」に素のままで生きられる社会の到来を切に願った。いやこの映画でのイギリス社会で受容されたドイツ人は実力で色んな声をねじ伏せてわかりやすく道化を演じてはいないんだけど、でもやっぱりそれも一種の道化なんだと思う。

ストーリーは結構安直なところあってそういう脚色いる?ともちょくちょく思ったんだけど、マンCのレジェンド題材の映画ならオアシスの音楽使ってあげなよ、とあの熱狂的マンCサポーターギャラガー兄弟に同情しかけていたところ、エンドロールで満を持してドーンとノエル・ギャラガーの『The dying of the light』を流してきたのを聴いたらもうなんか私もだいぶ安直でこの映画の好感度ぶち上がったのでまあこれでもいいかな、という感じです。とりあえずお兄ちゃん良かったな(リアムは知らない)、と声かけて大団円みたいな。あとイングランドのフットボールカルチャーって誰が描いても、それがケン・ローチ作品であろうと『クルエラ』であろうと常にこすっからさが完全解釈一致なの、もうそれは本当そういうことなんだろうなとそういう描写出てくるとちょっと嬉しくなる。
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