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レ・ミゼラブルのQTakaのレビュー・感想・評価

レ・ミゼラブル(2019年製作の映画)
4.0
混とんと喧騒の中、子供たちは子どもではなかった。
大人たちも、またカオスの構成物でしかなかった。
この社会は、どこへ向かうのだろうか。
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アフリカ系で現地に居住している黒人警官。
白人警官で、高圧的な態度をとる警官。
そして、この地へやってきた若い警官。
現地の人々の構成も複雑怪奇と言っていい。(少なくとも日本人の私には、全く縁遠いキャラクターの集団達だった。)
アフリカ系住民からイスラーム系住人、そしてロマのサーカス団。
子供たちは、そんな中で,大人たちの顔色を見ながら、警官の姿に怯えながら、鬱屈とした気持ちを抑えながら生活していた。
この人間関係を一通り見るまでが大変だった。
さらに、このイントロ部分にはサッカーワールドカップの応援風景が見られる。
彼らは、肌の色や社会的な地位の違いこそ有れ、同じフランス人なのである。
だから、優勝すれば、国旗を振り、ラ・マルセイエーズを共に歌うのだ。
この団結する姿、共有する想いが有りながら、この物語では正反対のカオスを見せるのである。
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冒頭のシーンから、まるでドキュメンタリー映画のようなタッチで描かれている。
それは、ストーリーが事実に基づいて構成されているからでも有ろう。
子供たち(一部大人も含め)と警官の対立構図がハンパ無い。
これは、警官側に無理が有るように描かれているが、この地における対立構図は、一方的なものではないことが見えてくる。
それは、麻薬絡みの過去の問題も含め、大人たちのなわばり争いが込み入っている事からもわかる。
三つ巴の対立構図など、解けるパズルで有るはずが無い。
さらに、子供たちに至っては、そんな大人たちを見て育つのだからロクなことにならない。
その結果がこのストーリーなのだ。
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子どもが子供でいられる時間は、実はそう長くない。
子供は、実は長くない子供の時間を着実に成長して行かなければならない。
しかしながら、彼らには、そんな貴重な時間をうめてくれる学びの場が無かった。
その彼らが幼いままでいる内にトラブルを起こし始める。
一方の大人は、彼らを持て余す。
彼らを育てられていないのだ。
だから、子供たちの起こした事件も、大人たちの手には負えない。
小さな事件が、怒りに任せて増幅して、暴動になって行く。
誰が、彼らの箍(たが)をはずしたのか。
大人たちは、彼らを抑えられないのか。
その暴動を見ながらぼう然と見つめるしかない。
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「友よ、よく覚えておけ、悪い草も悪い人間もない。
育てる者が悪いだけだ」
(「レ・ミゼラブル」ヴィクトル・ユゴー)
ラストシーンに表示される言葉だ。
確かにそうなのかもしれない。
彼らは、育てられる存在だった。
しかし、育てる大人が居なかった。
子供として、大人への成長を得られなかった彼らは、また彼らの子供も育てられないのかもしれない。
負の連鎖の先に有るのは、大人不在の社会しかない。
あるいは、それが現在なのかもしれない。
この墜落する連鎖は断ちきれるのだろうか。
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ドローンで撮影していた少年。
彼は、最後まで傍観者で居続けた。
ドローンで、警官と少年たちの一連の騒動を撮影した。
ラストの集合住宅での襲撃でも、彼はドアの小窓からすべてを見ていた。
それは、暴動に加担した少年たちとは違う立ち位置で有ることを示しているのだろう。
彼は、この環境、この場所に居ながら、彼らとは違う生き方が出来るのかもしれない。
それが、単に臆病だったからと言うことでも、その結果として彼が別の生き方が出来ることが重要だと思う。
この映画に出てくるエピソードは、いずれも事実として起こったことだと監督が述べている。
これらの出来事は、この地に住んでいる監督自身が目にしてきたことなのだ。
とすると、この傍観者に徹した少年は、あるいは監督自身の姿なのかもしれない。
この地に有って、その負の連鎖を傍観したものが居たとすると、それが希望なのかもしれない。
この、パリ郊外の場所が、次の世代にどのように受け渡されて行くのか。
この映画は、そんな場所の現在を映し出したのだろう。
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今回は、この映画の周辺を少し知りたかったのでパンフレットを購入。
中に、面白いことが出ていた。
スパイク・リー監督がアメリカにおけるプロモーションに一役買っているらしい。
たしかにこのストーリーは、確かに監督の好みの展開だと思う。
簡単に仲よくなっちゃって良かったね、なんて話は許されないのだ。
現実はそんな展開を許さない。
ガツンとぶつかって、ドカンと破裂するのが現実だ。
そこをスクリーンに描き出さなければ、物事は伝わらない。
そんなところが、スパイク・リー監督に響いたのだろう。
世界は、混とんと喧騒に満ちている。
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