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リトル・ジョーのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

リトル・ジョー(2019年製作の映画)
2.5
[幸福をもたらす花についてのお伽噺] 50点

"Happiness is Business (幸福はお仕事)"という本作品のコピーが本作品の無機質なディストピア感を最も良く形容している。主人公のアリスは優秀な植物エンジニアであり、我が子のように愛情を注ぎ、適切な温度下で適切な食事を与え、言葉を語りかけることで幸福を与えてくれる花粉を出す植物"リトル・ジョー"を開発する。オーストリア出身、欧州で活躍するジェシカ・ハウスナーはカンヌ映画祭ある視点部門の常連監督であり、その初英語作品である本作品が満を持してコンペに選出された。しかし、やはりコンペ選出作品に対する批評家たちの目はやはり厳しいようで、かなり守りに入ってしまった本作品は微妙な評価が下されている。

アリスは花を持ち帰り、息子であるジョーに花をプレゼントする。ワーカホリックな彼女は最愛の息子ジョーと一緒にいられる時間が少ないため、代わりに愛でる動物のような存在として花を与え、それに"リトル・ジョー"と名付ける。ジョー以上に愛情を注いで開発した花に"リトル・ジョー"と名付け、しかもそれを愛玩植物として息子に授けるのだから、その時点で少し恐ろしくなってしまう。しかも、お伽噺なので指摘するのは野暮なんだが、おそらくマウステストみたいなのは通していないので、最早彼を実験動物として使っているような状態になっている。正直これが一番怖い。

本作品は"園芸版"『ボディ・スナッチャー』である。幸せにしてくれるはずの花粉を吸った人間は、"リトル・ジョーの生存を第一に考える"人間に変質してしまい、それを信じない人間に対して攻撃的になってしまうのだ。匂いを最大限まで引き出すために受粉できないよう改良されたリトル・ジョーは、花粉を吸った人々を変質させることで、種の繁栄を守ろうとするという尤もらしい言い訳まで付いてくる。ここには多くの批判的なメッセージを詰め込んでいる。感情すら規定してしまう"科学"への盲目的な信仰の揶揄、同調圧力の恐怖、昨今台頭している極端な思想がカルトからマスへ侵食していく段階へのメタファー、抗精神薬の幸福効果への痛烈な皮肉(これはハウスナー自身は意図にないとしている)など、様々あり多層的だ。しかし、徐々に信者を増やしていくサイコスリラー的な展開は風呂敷を畳みきれないまま、ありきたりな闇落ちエンドに終結させてしまう。こうなると、ただ単に体制側に組み込まれましたというプロパガンダのように響いてしまい、批判的な文脈は映画の外に存在することになってしまう。それならそれで問題ないのだが、本編における毒気が弱すぎるせいで批判的に観ない限り批判的には聞こえない。

実はサイコスリラーとしても微妙だったりする。前述の"尤もらしい言い訳"を繰り返し続けるのだ。折角映像で語っているのに、なぜか言語化した挙げ句同じことを色々な人に言いふらし続ける。そして、物静かで無機質な映像で広げた風呂敷を、後半にかけて言葉の繰り返しだけで畳んでいこうとするのだ。終着点の安易さも相まって、くどいし勿体ない。

反面、白を基調とした実験室、薄緑の白衣とアリスの着るピンクやオレンジのシャツ、赤いリトルジョーと温室にあるピンク色のライトなど色彩には非常に気を配っており画面設計自体は美しい。気の抜けた尺八の音色も恐ろしく響き渡り、サイコスリラー的な要素を煽ってくる。加えて、印象的な長回しとしてフラフラとパンを繰り返す会話や、話者の間にある壁に向かって進むドリーショットや逆に話者から離れていくドリーショットなど撮影も技巧的で凝っているのは好ましい。前半と後半で前進と後退のドリーショットが対比的に使い分けられているのも中々良かった。

ハウスナーはキューブリックの後継者という記事を何本も見かけたが、そんなことはないと思う。きっと誰かの受け売りだろう。
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