町蔵

アトランティックスの町蔵のネタバレレビュー・内容・結末

アトランティックス(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

マティ・ディオップの『Athlantique』は、コンペティション作品としてはきわめて繊細で規格外の作品であり、本年のセレクションでは大きな驚きを持って迎えられた。2009年に発表されたセネガルの不法移民を描いた同名の短編「Athlantique」が、このたびの長編の大きなインスピレーションの源となっている。セネガルの首都、ダガールの郊外、砂埃の舞う工事現場、焼き付ける太陽と過酷な労働で汗ばんだ肌。私たちが最初に目にするのは、狼狽する若者たちの姿だ。その一人であるスレイマンは、恋人アダをおいて、セネガルからスペインに渡ることを決意する。同時にアダには、家族から強制された裕福な婚約者との結婚式が迫っているのだ。だが、スレイマンの出発にも、望まない結婚にも大きな感情の揺れを見せず、待ち受ける運命を静かに受け入れているように見える。ディオップは、彼女自身のルーツではあるが、決して生きたことのないセネガルを、そこに生きる人々の直面する現実を、ドキュメンタリータッチで描くことはしない。離れ離れになった恋人たちは、どのように«再び»出会うことができるのだろうか?そこにはつねに謎が秘められており、ディオップの驚くべき想像力を介して、«彼»は私たちの目の前に現れる。映画における物語や構造の論理に縛られず、自由を信条とするかのように撮られた『Athlantique』は、産業の論理で運動するカンヌにおいて、私たちに「他の」世界を見せてくれた。

◆移民問題
『Atlantiques』 はセネガルの首都ダカールに住む、ある若い女性の物語である。彼女の生き生きとした生活は、恋人が突然姿を消すことによって一変することとなる。恋人は、仲間たちと共に粗末なボートで大西洋を渡り、スペインを目指したのだった。 移民問題は私たちにも馴染み深く、今日ではよく扱われる物語だ。 この題材は以前にも、同じくセネガルの監督ムサ・トゥーレが『小舟 (2012)』を制作するなど、アフリカの監督によって描かれてきた。(『小舟』は2012年にカンヌのある視点部門に出品)(1)
「私自身、こういった実情の目撃者なのです。とても身近な出来事でした。」 彼女はパリを拠点としているが、以前セネガルにいる家族を訪ねたことがあった。 「10年前のことですが、(母国から)逃れてようとする若い世代の一群がいました。 彼らはスペインへ向かったけれど、その多くが消えてしまったのです。私はこの物語を伝える必要性を感じました。既に自分の短編でこの題材に取り組んでいましたが、それで終わりにできるとは思えませんでした。」(5)
「2009年の短編は、セネガルからスペインへよりよい未来を求めて海を渡る一人の若い男性、Serigneに焦点を当てています。彼の物語を通して、セネガルの若者のそのままの姿、現実を描き出したかったのです。」 「もしスペインでそれを叶えようとすれば、 何千人もの人々が海で亡くなることになります。この悲劇がセネガルに大きな傷跡を残しました。それは私にとってもです。そして私は、あとに残された女性の視点からこの物語を描きたいと思いました。それが、恋人を海で失い、自分自身をもう一度見つめなおそうとする若い女性Adaの物語となりました。」(2)
確かに、近年の『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』や『Mediterranean(原題)』といった映画も難民・移民問題を扱っているが、移民達ではなく残された人々を中心に物語が展開するというのは『Atlantiques』の特徴と言えるだろう。
ディオプはこの物語を、1954年の映画『ユリシーズ』と比較して言う。 「(『ユリシーズ』の登場人物)ペネロペを、ただ愛する人の帰りを待つだけの、受け身な人物だと捉えるのは誤りだと思います。」「私が興味を持っているのは、女性たちが男性たちの帰りを待っているという事実がある一方で、男性を失うという経験によって彼女たちの人生が別のものに変化してゆくことです。それは、喪失を経験する中で、どのようにこの女性たちが自分自身の人生を取り戻し、ある種の解放を手にできるのか、ということでもあります。」(5)
◆制作について

「最初の大きな課題は、セネガルの俳優たちに私が作った物語の中に自分がいる、というに感じてもらうことでした。」
「この企画には自信がありましたが、現にその国で日々を営んでいる人々に受け入れられるものである必要がありました。私の捉え方や判断は、彼らの実体験や周囲の環境とうまく合致していると感じました。 自分の頭の中で一人で映画を作っているのではないのです。この映画を実現させたいと思い、そのためにはまず初めに現実を確かめる必要がありました。」
「私は超常現象を描いているような映画が好きですが、しかしそういった映画も社会的、政治的な現実に根差しているのです。」
映画が完成する前に、彼女は自分の師匠でもあるクレール・ドゥニを呼んだという。
「彼女に『Atlantiques』 がカンヌで正式に受け入れられたと伝えると、とても喜んでくれて、満足げでした。」 「私はとても感動しました。彼女との経験が、映画製作者、女性として今ある私の姿に、非常に影響を与えてきたからです。クレールは物事やその在り方を見通すことができます。 彼女は計り知れない芸術家です。彼女の映画はとても深いのです。私はいつも(共に映画を制作している)彼らに親しみを感じていましたし、彼女の作品の女優の一人であったことは誇れることです。もう一度一緒に仕事をしたいと思います。」 (2)
 一方、ドゥニの方は今年の四月に、『ムーンライト』を監督したバリー・ジェンキンスとの対談の中でディオプの名を挙げ、この出来事を次のように語っていた。(3)
「実は、彼女は映画を撮り終わってから私を呼んだのです。 もちろん、全部自分で成し遂げていて、私は必要とされていなかったのだけれど、そのことがとても誇らしく思えました。」「私が女性で、彼女が若い女性だからではありません。私には彼女がやろうとしてことがわかるし、その内容を誇りに思うからです。」
◆黒人女性監督として
「私は自分自身を十分に理解していませんでした。知らなかったのです。」
「最初の感想は、とても悲しい、といったところです。私は『本当に?』と思いました。それはつまり、 私が黒人女性であるという事実が、本当の意味で、自然で、普通の、注目に値しない出来事になるには、まだまだ長い道のりが待ち受けているということなのです。」
ディオプの「コンペ部門初の黒人女性監督」という業績はカンヌで熱狂的な注目を集めているが、彼女はその特有のポジションに複雑さを感じているようだ。実際、「アイデンティティについて誇りに思うことに関しては少し懐疑的」としている。それでも、カンヌにおいて新たな歴史を作った人物として、その立場を次第に受け入れ始めているようだ。
「私が育ってきた中で、刺激を受けた黒人、もしくは黒人の血を引く映画監督はいなかったということを自分でも認めなければいけません。」「そのような人々の存在は重要です。 だからもし私がいつか、そういう若い女性に(刺激を与えられるような)人物になるなら、それは素晴らしいことでしょう。とても価値のあることだと思います。」(5)
◆物語の評価は…
彼女はこれまで独自の芸術を徐々に作り上げてきた。それを「ファンタジー・ドキュメンタリー」と呼ぶ人もいるが、ディオプ自身は「静観的なアクション映画」と言っているようだ。
「フィクションとしてこの物語を書きましたが、特にそこは気にしてはいません。ドキュメンタリーとフィクションの間に線を引くことは映画製作者のする仕事だとは考えていないのです。映画を作りたいと思うときに、ただ映画を作ります。」「私が描いた世界は、社会や政治、経済の分野に密接に結びついています。もちろん題材には現実的な要素や表現がありますし、私のアプローチの仕方もドキュメンタリーのようではありました。」 (5)
The Guardianもこの作品を「Voodoo-realist drama(魔術的で写実主義のドラマ)」や「docu-supernatural mystery(ドキュメンタリー+超自然ミステリー)」と評する。 というのも、序盤は私たちにも馴染みのある、移民や性の問題を扱った物語のようである。主人公のAdaは、恋人のSouleimanが海へ消えてしまったことを思い悩み、また、裕福なムスリムの家庭で育ったために、同じく裕福な男性Omarとの結婚が強いられている。 しかしそんな中、物語はある事件をきっかけに不可解で奇妙な展開を辿る。亡くなったと思われていた恋人Souleimanの影が見え隠れし、それが現実なのか嘘なのかもわからないまま、Adaは事件に巻き込まれていく。「まるでフィルム・ノワールの領域へと入っていくかのようだ。」「ホラー映画になるようなことは決してないものの、この不吉な展開は、現実的な要素を加えることにより、Adaやほかの女性たちが経験した心理的な圧迫を表面化させるように、暗い詩的な作品へとこの物語を変化させていく。」(7)
The Guardianは、「ディオプは、こういった題材の場合予期されがちな、単なる写実主義にも陥らなかったし、使い古された魔術的リアリズムの立場とも異なり、また、明らかに現実離れしたような物語を映画の中心に据えたわけではない。彼女の映画は魅惑的な謎を秘めている。」と評価している。(4)
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