「しっかり生きろ」
これをどう言葉に落とし込めというのです?
それこそ"フーバー"です。
16年前、当時高校1年生だった僕は現代文の授業で岡真理「虚構のリアリズム」を読んだ。本作の冒頭・オマハビーチのシーンを題材に「リアルに再現するからこそ実態を強く意識するようになり、それによって虚構であることがますます強化される」といった趣旨の評論文だったと思う。オマハビーチのシーンを授業で観て以降、なんとなく気が進まず観ていなかった。厳密には、オマハビーチのシーンと橋の攻防戦のシーンだけを観たことがあるという一番やってはいけないつまみ食いをやらかしたのである。
だが、現代文も何もかも、実際に観てみればどうでもよくなった。本作のプレミアに招かれたノルマンディ上陸作戦の生存者は「臭いがしないことを除けば、この映像はあの日のものだ」と話したという。僕は戦争を知らないし知りたくもない、が、恐らくそうなのだろう。クライマックスの橋の攻防戦のシーンの途中で、食事のため一度席を外さなければならなかった。無念の中座だったが、振り返ってみればこれは幸いだっただろう。僕はまともにフォークを持てなくなっていた。まるで「日本のいちばん長い日」(1967)で上官を斬った陸軍士官が手の強張りから軍刀を手放せなくなったような体の硬直だった。映画は通しで観るもの、というマナーを念頭においたうえで、それでもあのまま観ていたらどうなっていたことか。僕は「ドイツ兵が来る前に手首を切っていた」かもしれない。それくらい持って行かれたのだ。物陰から姿を現したティーガーⅠとそのキャタピラの音がとても恐ろしかった。
最後に、このような世界情勢で二度と戦争の災禍が訪れないことを祈念しつつ
「願わくは神があなたの悲しみを和らげ、幸せな思い出だけをあなたに残すことを。自由の祭壇に捧げた尊い犠牲、それを誇りとして下さい。
心より敬意をこめて-エイブラハム・リンカーン」