むさじー

鉄道運転士の花束のむさじーのネタバレレビュー・内容・結末

鉄道運転士の花束(2016年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

<ブラックな笑いを温かく包んで>

今まで数多くの人を轢き殺してきた鉄道運転士のイリヤは、運転士になったばかりの養子シーラが、いつ人が飛び出してくるかと不安で苦しむ様子を見て、誰かを轢かなければこの不安を解消できないと考えた。そして自殺志願者を探し、あげく自分の命を投げ出してまで立派な運転士に育て上げようとする。
何ともシュールな発想で、強烈なブラックユーモアに満ちているが、含みを持たせて様々な解釈ができるその分、不思議な味わいを宿している。
背景に、激しい内戦を経験した国ならではの特殊な死生観があることは想像できる。絶えず人命を犠牲にして成り立ってきた社会にあって、死が身近すぎる不感症気味の人生を思うと、この鉄道運転士は「兵士」のメタファーではないかと。最初の一人を殺すまでは恐怖に怯えるが、そこから先は肝が据わるというか、「私は悪くない、やっと一人前」と自己肯定できるようになる。若者の通過儀礼とも、死を軽視する社会への警鐘とも解釈できそうだ。
その一方、イリヤにはかつて愛した人を轢死で亡くしたトラウマがあり幻覚に悩まされていて、愛する人の死だけは容易に乗り越えられない。しかし、自らが轢死を疑似体験することでその呪縛と幻覚から解放され、平穏な実人生を取り戻す。ラストは人生の再出発にふさわしい温かな空気に包まれていた。
本作のブラックユーモアには、カラッと乾いた感触と愛情のこもったホノボノ感があって、心地よさを覚える。この新鮮な笑いは、不謹慎だが面白い。
むさじー

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