umisodachi

ドリーミング村上春樹のumisodachiのレビュー・感想・評価

ドリーミング村上春樹(2017年製作の映画)
3.5
デンマークで村上春樹の翻訳を手がけるメッテ・ホルムを追ったドキュメンタリー。村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を翻訳するにあたり、彼女は下記の文の翻訳に悩む。

「完璧な文章などというものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

「文章」の訳語は?テキスト?センテンス?それとも……と、ヨーロッパと日本でいろいろな人に相談するメッテ・ホルム。彼女の中にある村上春樹を追求することで、村上春樹の世界が浮かび上がっていく。

ちょっと不思議なつくりのドキュメンタリーだった。メッテ・ホルムは日本を訪れ、村上春樹の作品に出てくる場所を巡ったり、研究者仲間と会ったり、ハルキストたちと語らったりする。それぞれの人物は自分だけの春樹論を持っていて、結局のところメッテ・ホルムも自分だけの春樹観で翻訳に臨むしかないということを再認識する。デンマークの人々は彼女を通して村上春樹を知り、村上春樹の世界に触れる。それでいい。村上春樹自身も、そうした各国の翻訳者をりすペクトしていることが示されて、本作は幕を閉じる。

大学のとき、私は柴田元幸の授業を毎年受講していた。そのどれもが英米文学の一部または全部を訳すか、訳した上で考察するというもので、毎回レポートを提出しなければいけなかった。例えば課題箇所が短編の2ページ程度だとすると、冗談抜きで翻訳するのに5時間くらいかかった。たいてい課題個所はもっと長いので、レポートひとつに5~8時間くらいかけていた。期によっては週に2単元履修していたので、その時期はバイト以外ずーっと翻訳作業をしているような状況だった。

私が翻訳作業を行う手順はこうだ。

①まず辞書を使わずにざっと読む。自分なりに内容を把握できるまでひたすら繰り返し読む。
②わからなかった単語やイディオムを英和辞典で調べる。
③すべての単語を把握した状況でもう一度読む。
④英英辞典を参照しながら、頭から翻訳していく。

①~③もそれなりに時間がかかるのだが、なんといっても④が大変。ピンとくる訳語を見つけるまで、ひたすら英英辞典を参照し続けるのだ。その単語の意味を知ればOKというわけではない。例文を読んで、例文の中にシェイクスピアの一節があればそのシェイクスピア作品のことを調べて……と、果てしない旅に出ないといけない。

アメリカでおなじみの言い方だったり、古めかしい言い方だったりしないか?ちょっと大げさな言い回しではないか?シェイクスピアの一節など有名な文学・映画を踏まえた表現ではないか?キリスト教や歴史に基づいた比喩ではないか?

ありとあらゆる可能性を考え、まずはできるだけ正しい理解と解釈を探していく。それはさながら推理やパズルのような作業だ。

続いて、今度は表現の工夫に移る。「僕」なのか「私」なのか「俺」なのか。「君」なのか「あなた」なのか「そなた」なのか。「です」なのか「だ」なのか。私が文章から感じた印象を、できるだけ再現できる日本語はなんなのかをひたすら探る。いくらでも時間をかけられてしまう果てしない作業だ。そんなこんなで、数時間があっという間に流れていった。

提出したレポートは、先生自らと赤を入れて返してくれる。そして、優秀なものはプリントにまとめて配られる。あの柴田元幸が添削してくれて、あの柴田元幸に選ばれる可能性があるなんて、私にとってはあまりにも魅力的な授業だった。だから私は4年間夢中で翻訳し、夢中で授業を受け続けた。本作を観ながら、当時の楽しかった日々を思い出した。あの作業は大変だったけれど、心から楽しい作業でもあった。

本作ではドキュメンタリー部分の合間に、『かえるくん、東京を救う』のイメージ映像が流れる。かえるくんの世界で繰り広げられる想像力の戦いは、想像力の限りを使って村上春樹に立ち向かうメッテにも重なる。孤独だが、大いなる戦い。彼女の翻訳で村上春樹を読んだことで、人生の方向性を変える人だってきっといる。

時系列がよくわからない構成や、唐突に表れるかえるくん。なんとなく春樹を読んでいるような感覚になってくる。村上春樹が好きな人はもちろん、小説の世界に飛び込むのが好きな人ならば楽しめるはず。翻訳という果てしない旅を垣間見ることができるから。









umisodachi

umisodachi